「出会いが怖い」と思っていた私が、SNSで人と話せるようになるまで
「人とつながりたいのに、出会うのが怖かった」
今回お話を伺ったのは、60代の川口直子さん(仮名)。地方都市で一人暮らしをしている女性で、十数年前に離婚を経験した後、長らく家族以外の人と深く関わることなく暮らしてきました。
退職後はのんびりした日々を送っていたものの、ふとした時に感じる「誰とも話していない一日」が気になり始めたといいます。
過去の経験から「もう誰とも出会いたくない」と思っていた
「若い頃、けっこう苦い経験も多かったんです。
恋愛や人間関係でいろいろあって…離婚したあとは特に“もう誰かと関わるのはしんどいな”って。
無理に誰かと出会って、また気を遣ったり、がっかりしたりするくらいなら一人の方がいいって、ずっと思っていました」
人付き合いそのものが「怖い」というわけではなく、“新たな出会い”に対する身構えのようなものがあったと話します。特に、マッチングアプリのような「誰かを見つけること」が前提になっている場には、強い抵抗を感じていたそうです。
でも「話せる誰か」が欲しい気持ちはずっとあった
「ただ、話したい気持ちがまったくなかったかというと…それは違うんですよね。
スーパーでちょっとしたやりとりをするだけでも、“なんかホッとするな”って思うことがあって。
会話って、そんなに大げさなことじゃなくて、ただ誰かに声をかけてもらえることが嬉しいんだなって、最近気づいたんです」
「寂しい」とは言いたくない。でも、誰かのひと言がうれしい。
川口さんが感じていたのは、まさにその“あいだ”の気持ちでした。深い関係や出会いを求めているわけではないけれど、日常に少しの言葉のやりとりがあれば、気持ちはこんなにも違う──そんな感覚です。
マッチングアプリにはどうしても踏み出せなかった
「スマホで“誰かと話せるアプリ”みたいなキーワードで検索したとき、
真っ先に出てくるのが“出会い系”とか“マッチング”なんですよね。
でも正直、“怖い”っていうのが本音でした。
見た目や年齢で選ばれるような場所に、自分が入っていける気がまったくしなかったんです」
「会わないと意味がない」「恋愛や再婚が前提になっている」──そうしたアプリ文化の雰囲気に、川口さんは違和感を覚えたといいます。
「私が欲しかったのは“関係”じゃなくて、“会話”。
出会いよりも、安心して話せる空気がほしかったんです」
この言葉は、恋愛や再婚を望まない中高年層にとって、多くの共通感覚につながるものかもしれません。
安心して話せるSNSの存在を知ったきっかけ
離婚や人間関係の経験から、「新しい出会い」に強い不安を抱えていた川口さん。ですが、あるきっかけを通じて、“会わなくてもいい”人とのつながりがあることを知り、少しずつ心が動き始めたといいます。
「会わなくていい」と知って気が楽になった
「あるとき、ネット検索をしていたら『SNSで話せる』っていう言葉が目に入ったんです。
最初は、“SNSって若い人のものじゃないの?”って思ったんですけど、よく見ると中高年向けとか、同年代の人が多いサービスもあるとわかって」
「直接会わなくていい」「顔を出さなくてもいい」「本名も必要ない」──その自由さに、川口さんは少し驚いたそうです。
「会うことが前提じゃないっていうのが、すごく気持ちを軽くしてくれたんですよね。
“無理に近づかなくていい”ってわかっただけで、“話してみようかな”っていう気持ちが出てきたんです」
“出会い目的ではない人たち”がいることに安心
「登録してみて一番ホッとしたのは、“出会いましょう”っていう雰囲気が全然なかったことです。
雑談とか、昔の話とか、趣味のことを自然に話してる人たちが多くて」
恋愛や再婚を前提にしたやりとりではなく、「今日は寒いですね」「昔こんな音楽を聴いてました」といった気軽な投稿が目についたといいます。
「“誰かと話したいだけ”っていう人が、こんなにいるんだって思ったら安心しました。
私みたいな気持ちの人、意外と多いんですね」
はじめは見るだけ。無理なく入れたSNSの世界
「最初は本当に、見るだけでした。
他の人の投稿を読んで“ああ、この人も同じような思いしてるんだな”って。
なんとなく、投稿を読むだけでもちょっと気持ちが落ち着いていく感じがあって…」
無理に何かを発信しようとせず、「ただそこにいるだけ」で居場所のように感じられたという川口さん。
「いま思えば、誰かの言葉に触れるだけでも“つながっている”って感じられるんですね。
“私も話してみようかな”と思えるまでは、そんなに時間はかかりませんでした」
はじめて投稿した一言が、心をほどいてくれた
人との「出会い」はまだ怖いけれど、どこかで誰かとつながりたい──。そんな思いを抱えながらSNSを“見るだけ”で使っていた川口さんが、ついに初めて投稿をした日のことを、ゆっくり振り返ってくれました。
書いたのは「今日は疲れました」だけ
「その日は、特別なことがあったわけじゃないんです。
でも、なんとなく誰かに聞いてほしくて。
勇気を出して『今日は疲れました』ってだけ、投稿してみたんです」
誰かに気を遣うでもなく、飾るでもなく。ただ、自分の気持ちをそのまま文字にしてみた。数分後、思いがけない反応が返ってきたといいます。
「わかります」のひと言に、涙が出た
「“わかります”ってだけ、たったひと言が返ってきたんです。
それが、すごく沁みてしまって…。気づいたら、涙が出ていました」
誰かが自分のつぶやきを読んで、反応してくれた。その事実だけで、胸の奥にしまっていた何かが、ふっと緩んだように感じたそうです。
「誰かとちゃんと“会って話す”わけじゃなくても、“ここにいていい”って思えた瞬間でした」
人と会わなくても、やさしい言葉は届くと知った
「それから少しずつ、私も“誰かの投稿にひと言返す”ことが増えていきました。
『私もそう思います』とか、『それ素敵ですね』とか、ほんの一言ですけど」
リアルな場ではなかなか声をかけられないけれど、SNSなら、無理せず言葉を交わせる。その距離感こそが、今の自分にはちょうどよかったと語ります。
「人と会わなくても、こんなふうに“やさしい言葉”はちゃんと届くんですね。
あの日の『わかります』は、いまでも私の支えです」
出会いが怖かった人がSNSを使い始めた理由(アンケートより)
過去に人間関係で傷ついた経験があると、「誰かと出会う」「つながる」といった行為そのものに対して、強い抵抗や不安を抱いてしまうものです。では、そうした人たちは、なぜSNSを使い始めることができたのでしょうか?
今回は、50代~70代の男女を対象に行ったアンケート調査の結果から、「出会いに抵抗があった人」がSNSを使い始めた理由について見ていきます。
■ 結果①|「会わなくていい」ことが安心材料に
まず、SNSを使い始める決め手になった理由を尋ねたところ、下記のような回答が寄せられました。

SNSを始めた理由(複数選択可) | 割合(%) |
---|---|
会わなくていいと知って安心した | 68.6% |
出会い目的ではない人が多いと感じた | 55.9% |
自分と似た境遇の人がいたから | 41.2% |
自分の言葉を受け止めてくれる雰囲気があった | 36.3% |
匿名で始められる点にひかれた | 29.4% |
その他 | 5.9% |
「会わなくていい」「出会い目的ではない」というポイントが、多くの人にとって安心感につながっていることがわかります。
また、自分と似た境遇の人がいたという回答も目立ち、同じような背景を持つ人同士でつながれることが、SNSの大きな魅力のひとつとなっているようです。
■ 結果②|「少しずつ話せるようになった」という声が多数
さらに、「SNSを使い始めてから気持ちにどんな変化があったか」という問いには、以下のような回答がありました。
- 「最初は見るだけだったけど、気がついたら自分でもつぶやけるようになっていた」(60代女性)
- 「知らない人なのに、励まされた気がした。気持ちが軽くなることが増えた」(50代男性)
- 「リアルの出会いはまだ怖い。でもSNSで“ことば”をやりとりできるだけで十分だった」(70代女性)
「会わない関係だからこそ、素直な気持ちを出せる」という点は、出会いに対して不安を感じていた人たちにとって、予想以上に大きな安心材料となっていたようです。
出会いじゃなくても“心が動くつながり”がある
会わなくても伝わる言葉がある
SNSでのつながりというと、多くの人は「実際に会うこと」や「恋愛や出会い」をイメージするかもしれません。しかし、実際には“会わないこと”が前提だからこそ成立するつながりもあります。
画面越しのやり取りでも、気持ちのこもった言葉はしっかりと届きます。「お疲れさま」「わかりますよ」「大丈夫ですか?」といった、ほんのひと言が心をそっと包み込んでくれることもあります。リアルでの対面では気づかれない、あるいは言い出せないような小さな気持ちが、SNSでは自然に表現され、受け取られるのです。
「恋愛抜き」で話せる相手が心に余白をくれる
「誰かと話したい」という思いがあっても、恋愛を前提とした関係になると急に気を遣ったり、身構えてしまうことがあります。特に、過去に人間関係で傷ついた経験がある人にとっては、「誰かと仲良くなりたい」と思う一方で、「深い関係にはなりたくない」という葛藤を抱えがちです。
その点、“恋愛抜き”で会話だけを楽しむSNSは、心にちょうどいい距離感を保ってくれます。恋愛や見た目を気にせず、ただ言葉を交わせる関係は、まるで静かな湖面に風がそっと吹いたような、ささやかな安心感をもたらします。会話だけのやりとりだからこそ、日常の中に無理のない「心の居場所」を持つことができるのです。
見た目やプロフィールじゃなく“言葉”でつながれる場所
SNSの魅力のひとつは、相手の外見やプロフィール情報ではなく、「投稿された言葉」や「日々のつぶやき」に触れることでつながりが生まれる点にあります。
たとえば、「今日はちょっとつらい日だった」といった投稿に「わかるなあ」と思った人が返信をくれる。そこには、「顔が見えないからこそ伝えられること」や、「素直になれる関係」があります。SNSは、そうした“言葉が先にある関係性”を築くことができる貴重な場です。
実際に会わなくても、気づけば画面の向こうに「自分のことを気にかけてくれる誰か」がいる。このささやかな存在が、日々の孤独感や不安をそっと和らげてくれます。
SNSが「話せる場」になったことで変わった日常
ひとりの時間が“寂しさ”から“穏やかさ”に変わった
人とつながる手段が限られる年齢になると、「ひとりの時間」が長くなることに不安を感じる方は少なくありません。特に、子育てや仕事を終えた後の時間には、ぽっかりとした“空白”が生まれがちです。
しかし、SNSという“会話だけのつながり”を得たことで、その時間の意味が変わっていきます。以前は「誰とも話していない」「ひとりきり」と感じていた時間が、今では「今日はあの人の投稿を見てほっとした」「自分の言葉に反応があった」という、静かだけれど確かな交流のある時間に変わっていくのです。
寂しさに覆われていた時間が、誰かの言葉によって“穏やかさ”や“安心”を感じられる時間に。SNSは、そんな心の変化を静かに後押ししてくれる存在になり得ます。
「今日も少し誰かと話せた」と思えるだけで救われる
日々の中で、誰かと少しでもやり取りできたと感じること。それだけで、その一日は「完全に孤独ではなかった」と思えるものです。
たとえそれが、たった一言の「お疲れさま」でも、「いいね」や「コメント」でも、「誰かが自分の存在に気づいてくれていた」という安心感が、心を支えてくれます。人と話すという行為は、特別なことではなく、ごく小さなやり取りの積み重ねで十分なのです。
SNS上での短いやり取りが、「今日はちょっといい日だった」と思わせてくれる。そんな日々の小さな変化が、孤独感を少しずつ和らげていきます。
孤独と向き合う手段としてのSNSという選択
「孤独を感じること」は決して悪いことではありません。ただ、その孤独とどう付き合うかが大切です。そして、現代においてはSNSがその一助になる時代です。
誰かに会わなくても、画面の向こうに“言葉を交わせる誰か”がいるという事実は、自分がこの世界とつながっているという実感につながります。SNSは、自分の孤独を誰かに委ねるのではなく、自分の手で少しずつほぐしていけるツールでもあるのです。
無理に多くの人と関わる必要はありません。大切なのは、“自分のペースで話せる場所”があるということ。SNSは、そうした静かなつながりを築く選択肢として、多くの人の心を支え始めています。
まとめ|“出会いが怖い”と感じるあなたへ伝えたいこと
無理に踏み出さなくていい。ただ、言葉から始めてみてほしい
「人と出会うのが怖い」と感じる気持ちは、過去の経験や心の傷があるからこそ生まれる、自然で正直な感情です。だからこそ、無理に誰かと深く関わろうとする必要はありません。
SNSという空間には、会わずに、自分のタイミングで、ただ“言葉だけを交わす”ことができる関係性があります。投稿を読むだけ、誰かの言葉に共感するだけでもいい。気が向いたときに、一言だけでも発信してみる。――その小さな行動が、あなたの中の“孤独”にやさしく触れる第一歩になるかもしれません。
「話すだけでもいい」場所が、きっとあなたを受け入れてくれる
恋愛を前提としないSNSでは、「話すだけ」「聞いてもらうだけ」の関係が当たり前のように存在しています。そして、それを歓迎してくれる人たちが確かにいます。
あなたの投稿に共感したり、そっと反応をくれたりする人がいることは、思っている以上に心を支えてくれます。そこにいるのは、同じように“話す場所を探していた”人たちです。
「大丈夫。ここにいていいんだ」と思える瞬間が、少しずつ増えていく――そんな場所が、あなたにもきっと見つかります。
出会いより“安心してつながれる関係”を大切にしたい人へ
もしあなたが「恋愛じゃなくていい」「ただ誰かと話したいだけ」と思っているなら、あなたに合う“ゆるやかなつながり”は、確かに存在します。
出会いを前提にしないからこそ、気負わず、取り繕わず、自分のペースで関われる。その安心感が、心の余白を育て、また人と向き合う力にもつながっていきます。
“会わないつながり”でも、心は十分に触れ合える。そんなSNSという選択肢が、これからのあなたの毎日を少しだけ優しく変えてくれることを、私たちは願っています。