「SNSは怖い」と思っていた60代男性がつながれた理由
「SNSは怖い」と感じていた60代男性の本音
「SNSは若者のもの」
「やりとりが面倒そう」
「個人情報が漏れそうで怖い」
「知らない人とつながるなんて、信じられない」
──こうした不安や疑念を持っていたのは、今回紹介する60代の男性、山本さん(仮名)です。
退職を機に時間はできたものの、昔のような「仲間付き合い」や「ちょっとした世間話」の場がなくなり、どこか物足りなさや孤独を感じていたといいます。
とはいえ、SNSを使うなんて「とんでもない」と思っていた彼が、なぜ“つながれた”と実感できるようになったのでしょうか。
■ 「ネット=危ないもの」という固定観念
山本さんがSNSに抵抗を持っていた背景には、「ネットは怖い」という強いイメージがありました。
「テレビでマッチングアプリで会った人の事件やニュースを見るたびに、“見知らぬ人とつながる”ってやっぱり危ないんだなと思ったんです。ネットに顔や名前を出すなんて、とんでもない。」
そう話す彼は、スマホを使い始めたのも60歳を過ぎてから。
パソコンには詳しくなく、LINEくらいならなんとか使えるというレベルでした。
そんな彼にとって、“SNS”や“マッチングアプリ”という言葉は、
- 自分とは無縁の若者文化
- 使い方が複雑で理解できない
- 迷惑行為に巻き込まれそう
というネガティブな印象が強く、“不安”というより“拒絶”に近い感情だったのです。
■ なぜそこまで拒否感が強かったのか?
SNSに対する「怖い」という感情は、単なる偏見ではありません。
山本さんのような世代にとって、インターネットの急激な発展は、
- 技術に置いていかれる不安
- 情報の信ぴょう性が分からないストレス
- 知らないことを恥ずかしく思ってしまう心理
など、“理解できないもの”=“危険なもの”と感じる素地があったのです。
しかも、ネットに関するネガティブなニュースばかりが目に入る環境では、
「SNSで人とつながる」ことが、まるで自分の安全を脅かすように思えても不思議ではありません。
■ 「知らない人と話す」ことへの強い抵抗感
SNSの機能や構造よりも、山本さんが最も恐れていたのは、
“知らない人”と“言葉を交わす”ことへの心理的な壁でした。
「顔も本名も分からない人と、なぜ話さなきゃいけないのか?」「何か失礼なことを言ってしまったら…」
そんな不安が頭をよぎるたびに、
「やっぱりSNSなんて自分には向いていない」と感じていたそうです。
この背景には、「人付き合い=直接会って話すもの」という昭和的な常識が根強くあることも関係しています。
文章だけのやりとり、表情の見えない相手とのコミュニケーションに、どうしても“信用”を感じられなかったのです。
■ 「SNSを始めたい」と思ったきっかけは“孤独感”だった
とはいえ、SNSを完全に否定し続けられたわけではありません。
山本さんの中に少しずつ「何かが欲しい」という気持ちが芽生えてきました。
「家にいる時間が長くなって、テレビも飽きてきた。
でも、外で知り合いとバッタリ会う機会なんてほとんどない。
誰かとちょっと雑談できる場があったらいいなと、ふと思ったんです。」
かつての同僚たちは連絡先もバラバラで、
地域の集まりもコロナ禍以降は足が遠のいていました。
だからこそ、「会わなくても言葉を交わせる場所」が、
少しだけ気になり始めていたのです。
■ でもやっぱり、「始める」には勇気がいった
興味が湧いてきたとはいえ、
実際にアプリをダウンロードして始めるまでには、長い時間がかかりました。
- どのアプリを選べばいいか分からない
- 登録の手順が複雑そう
- 自分の情報を出すのが不安
- 本当に自分の年代でも使っていいのか?
「間違えて変なところを押したらどうしよう」
「変な人から連絡が来たら困る」
──そんな考えが次々に浮かんでくる中、
山本さんは「見るだけなら…」という気持ちで、
ある“中高年向けSNSアプリ”を、恐るおそる覗いてみることにしたのです。
この小さな一歩が、やがて「SNSは怖いものじゃなかった」と思えるようになる始まりでした。
不安の正体は“知らなさ”と“過去のイメージ”だった
SNSに対する不安は、操作の複雑さや個人情報の心配だけではありません。
実はその多くが、**「なんとなく怖い」「悪い噂ばかり聞く」**という、根拠の薄いイメージによるものです。
60代の山本さん(仮名)も、SNSを「危険なもの」と決めつけていました。
でも実際に少し使い始めてみると、その“怖さ”の多くが、「知らない」ことから生まれていたと気づいたといいます。
■ 「知らないからこそ怖い」は人間の自然な反応
私たちは、分からないものに対して本能的に警戒心を持ちます。
山本さんがSNSに対して抱いていた不安は、
- 「どんな人がいるのか想像できない」
- 「仕組みが複雑そうで自信がない」
- 「一度投稿したら取り返しがつかなそう」
といった、“操作以前の不明瞭さ”によるものが中心でした。
これはSNSに限らず、新しいもの全般に共通する心理でもあります。
たとえば最初にスマートフォンを手にしたときのように、
「使ってみたら意外と簡単だった」と思うことは多いはず。
SNSも同じで、“試してみる前”の不安こそが、一番大きなハードルだったのです。
■ 「悪いニュースばかり」が印象を歪める
もう一つの不安の根源は、“報道や噂”の影響でした。
SNSやマッチングアプリに関するニュースは、どうしても以下のようなネガティブな話題が目立ちます。
- 依存やトラブルによる社会問題化
- いじめや誹謗中傷
山本さんも、「SNS=危険」という印象を持ったのは、ほとんどがテレビやネット記事からの情報でした。
「使ったこともないのに、“怖いもの”というイメージだけがどんどん強くなっていった。」
これは多くの中高年が陥りがちな“情報の偏り”です。
実際には、SNSは**「利用者のほとんどが穏やかでまじめ」**という現実があるのに、
報道では“例外的なトラブル”ばかりが強調されるため、全体の印象が大きく歪んでしまうのです。
■ 「SNS=若者だけのもの」という思い込み
「どうせ若い人たちしか使っていない」
「60代の自分が入っていっても浮いてしまうだけ」
これも山本さんが感じていた不安の一つでした。
ですが実際に中高年向けSNSをのぞいてみると、
- 同年代の投稿が多く、話題も馴染みやすい
- 絵文字やスタンプを多用しなくてもいい
- 無理にフォロー・コメントをしなくてもOK
など、自分と同じようなペースや価値観を持つ人たちが多く、「居心地の悪さ」は想像よりずっと少なかったと語っています。
■ 実際に操作してみたら「なんだ、これだけ?」という驚き
山本さんが初めてSNSアプリを開いたとき、最初にしたのは「タイムラインを見る」ことだけ。
ボタンもシンプルで、「読む」「書く」「送る」の3ステップ程度で使えてしまったといいます。
「正直、もっと難しいかと思っていました。
“タップするだけでできる”なんて、知ってたらもう少し早く始めたかもしれません。」
“見るだけでもOK”というスタンスのおかげで、山本さんの中にあった
「何か投稿しないといけない」「会話を続けないと失礼」
といったプレッシャーも、自然と薄れていったのです。
■ 「怖さ」を乗り越える鍵は“自分のペースを守ること”
SNSが怖いと感じる理由の一つに、「他人のペースに巻き込まれる」ことへの抵抗感があります。
- すぐに返信しないといけない?
- 毎日ログインしなきゃいけない?
- いつも誰かとつながっていないといけない?
そんな“義務感”に疲れてしまいそうだと思っていた山本さん。
でも、使ってみると意外なことに気づきます。
「何日もログインしない人も普通にいるし、
“見る専”の人も多いんです。自分のペースでいいんだと分かったら、気がラクになりました。」
これは、SNSを無理に使わなくてもよいという“暗黙の了解”がある空間だからこそ実現する安心感。
山本さんにとっては、その“自由度”こそが、不安を乗り越える最大の理由となったのです。
きっかけは「見るだけでいいSNS」だった
「SNSは怖い」「自分には無理」と思っていた山本さん(60代・仮名)にとって、
大きな転機になったのは、「見るだけでも使える」SNSとの出会いでした。
それは、知人にすすめられた中高年向けのSNSアプリ。
「読むだけでもOK」「投稿は自由」「実名・顔出し不要」と書かれた紹介文に、
「もしかしたら、自分にもできるかもしれない」という気持ちが、ふと芽生えたといいます。
■ 「見ているだけでいい」と書かれていた安心感
最初にアプリを開いたとき、山本さんが驚いたのは、
「とにかく読むだけで使える」ということでした。
- 画面をスクロールすれば他の人の投稿が見られる
- 文章は短く、内容も日常のことばかり
- 写真も顔出しなしで、景色や食べ物が多い
- コメントや「いいね」をしなくても構わない雰囲気
これまでの山本さんのイメージでは、SNSは
「みんなが頻繁に発信し、リアクションし合う忙しい場所」だったのですが、
このアプリでは**“ただそこにいて読むだけでいい”**という自由さがありました。
「何かを投稿しなきゃいけないという空気がない。
それだけで、すごく安心できたんです。」
■ 投稿者の“人柄”が伝わってくる温かさ
投稿内容も、彼にとって意外でした。
「今日はベランダの花が咲いた」
「孫の写真が送られてきたので、嬉しくて」
「夜風が気持ちよかったので一人で散歩してきた」
──どれも気負いのない、等身大の言葉ばかり。
若者のSNSにありがちな“キラキラ投稿”や“映え”とはまったく違い、
「ここには“飾らない日常”を共有する人たちがいる」と感じたそうです。
「自分の話をしても、誰も馬鹿にしない。
誰かの日記のような投稿を読んで、
“自分も似たようなことを思ったな”って、
心の中でうなずくだけでも、何だかつながっている感じがして。」
■ 「参加していなくても“場”にいられる」安心
SNSの多くは、アクティブに使わなければ“取り残される”ような印象を与えがちです。
しかし、山本さんが使い始めたSNSは違いました。
コメントをしなくても、返信しなくても、“見るだけの人”が歓迎されていたのです。
この「見ているだけでもいい」という設計は、
中高年にとって極めて大きな安心材料です。
なぜなら──
- 会話を始めるハードルが高い
- スマホ操作に不安がある
- 反応が遅れることに罪悪感を持ちやすい
という心理が、自然とやわらぐからです。
「自分の居場所って、“しゃべらなくてもいい場”なんだって初めて気づきました。」
■ “何もしない時間”が“心のつながり”に変わる
山本さんは、最初の1週間、1件も投稿せずにただ見るだけで過ごしていました。
でも、その時間が無駄だったとはまったく思っていないと語ります。
- 誰かの日常を読むことで、自分も人の暮らしを感じられる
- 自分の悩みが、実は他の人も持っていると知れた
- 自分から話さなくても、“わかってくれる人がいるかもしれない”という予感が生まれた
SNSに投稿する・会話することよりも、
「同じように時間を過ごしている人たちがいる」
それを実感できることこそが、最大の価値だったのです。
■ 「やってみよう」ではなく「のぞいてみよう」でよかった
SNSを始めるにあたって、山本さんは「やるぞ」と決意したわけではありません。
むしろ、「のぞいてみよう」「見るだけなら」という軽い気持ちだったからこそ、続けられたと言います。
「最初の投稿をしなきゃと思っていたら、たぶん始めてなかった。
“何もしないことも許される”という空気が、安心でした。」
この“見るだけでいい”という入口が、
SNSに対して強い警戒心を持っていた彼にとって、唯一受け入れられたきっかけだったのです。
はじめて書いた短い一言が“誰か”に届いた
「見るだけでいい」SNSに少しずつ慣れてきた山本さん(60代・仮名)は、
ある日ふと、自分の気持ちを短い一言で書き残してみようと思いました。
それは、誰かに見てほしかったわけでも、返事が欲しかったわけでもありません。
ただ、数日間投稿を読んでいるうちに、
「ここなら、自分も少し話してみてもいいかもしれない」──
そんな気持ちが自然と湧いてきたのです。
■ たった10文字の投稿だった
その日、山本さんが書いたのは、**「今日は月がきれいだった」**という一言でした。
日が沈むのが早くなった秋の夕暮れ。
近所を散歩していたとき、ふと見上げた空に浮かぶ月が、
なんだか胸に残ったそうです。
「誰かに言いたいほどのことではないけれど、
どこかに置いておきたかった。そんな気持ちでした。」
これが、彼にとって人生で初めてのSNS投稿でした。
それは、特別な言葉でもなければ、大げさな表現でもありません。
むしろ、誰にでもあるような、小さな一日の気づきでした。
■ すぐに反応があったわけではない
「投稿してすぐに“いいね”が付いたらどうしよう」
「コメントがきたら返さなきゃいけないのか?」
山本さんは、そんなことを考えて少しだけ不安にもなりました。
しかし、投稿して数時間たっても、何の反応もありませんでした。
「少し寂しいような、ホッとしたような…複雑でしたが、
誰も見ていないなら、それはそれでいいと思いました。」
SNSでの投稿は、“誰かの反応”が前提と思われがちです。
しかし、山本さんはそれを求めていなかったからこそ、
**「反応がなくても、自分が投稿したこと自体に満足できた」**のです。
■ 翌朝、知らない誰かからの「ありがとう」
次の日の朝、スマートフォンに通知が届いていました。
アプリを開くと、「いいね」とともに、短いコメントが残されていました。
「私も昨日の月を見ました。きれいでしたね。」
その文章には名前も顔もなく、
ただ、同じ月を見たという一人の誰かの気持ちが添えられていました。
それだけのことなのに、
山本さんは**“心のどこかに静かに触れられたような気がした”**と語ります。
■ 「自分の言葉が誰かに届いた」初めての実感
山本さんはその投稿に、返信をしませんでした。
でもその後も、「月がきれいだった」という投稿には、
別の人からも「わかります」「いい夜でしたね」という短い反応がいくつか付きました。
「自分の気持ちが、誰かに届いたんだなって思いました。
会ったことも話したこともないけど、
“同じ空気の中で生きてる”って、少しだけ感じられたんです。」
この経験が、山本さんの中で**「SNS=怖いもの」というイメージを大きく変えた瞬間**でした。
■ 「言葉を置くだけ」でもつながれる
SNSの“つながり”というと、多くの人が「会話のキャッチボール」や「いいね」の応酬を想像します。
しかし、山本さんが得た実感は違いました。
- 一方的に投稿するだけでも、誰かに届くことがある
- 返事がなくても、自分の存在が無視されているわけではない
- 「わかります」の一言が、想像以上に嬉しい
これは、昭和の時代に育った世代が大切にしてきた、
“必要以上に干渉しない優しさ”に通じる距離感でした。
山本さんにとって、「SNSに言葉を置くこと」は、
まさに「心の静かな発信」だったのです。
■ 投稿を通して生まれる“見えないつながり”
その後も山本さんは、
- 夕飯の感想
- 小さな日常の発見
- 季節の変化
といった、ごくごく短い文章を、週に1〜2回ほど投稿するようになりました。
毎回、反応があるとは限りません。
でも、少なくとも自分の言葉を受け止めてくれる“場”があると感じているからこそ、
無理なく続けられているのです。
気づけば「話したい日」にSNSを開いていた
SNSに対して強い警戒心を持ち、「見るだけで十分」と思っていた山本さん(60代・仮名)。
最初は、投稿せずに読むだけ。
次は、ごく短い一言を時折書いてみるだけ。
それでも十分だと思っていました。
むしろ、「それ以上踏み込みたくない」と感じていたほどです。
ところが、ある日ふと、
「誰かにちょっと聞いてみたいな」「誰かの言葉に反応したいな」
そんな気持ちが湧いてきたといいます。
それは“無理に頑張る”というものではなく、
自然と自分の内側から出てきた感情でした。
■ 「同じような悩み」を読んで心が動いた
ある日山本さんは、
とある女性ユーザーの投稿を見つけました。
「毎日夫とほとんど会話がない。
話しかけても返事がなくて、自分が消えていくような気持ちになる。」
その文章に、山本さんは思わず画面の前で立ち止まりました。
それはまるで、自分の妻が書いたのではないかと思うほど、身に覚えのある内容だったからです。
「ああ、自分だけじゃなかった。
誰でも、こんなふうに感じていることがあるのか。」
心のどこかにあった“共鳴”が、
「初めて、誰かに何かを返したい」と思わせた瞬間でした。
■ コメント欄に書いた、最初の“返事”
その投稿に、山本さんは生まれて初めて「チャット」という形で反応しました。
「読ませていただきました。自分も似たような状況です。
最近は少し話すきっかけを作ってみようとしています。」
それは、短くて、控えめで、まるで手紙のような言葉でした。
でも、それは彼にとって大きな一歩。
「見るだけ」「書くだけ」の世界から、**“言葉を通じてつながる”**世界へと、
少しだけ踏み込んだことを、自分自身でも驚いていたといいます。
■ 「無理しない関係」が築けるSNSだった
チャットへの返信が来たのは、翌日でした。
「ありがとうございます。
そうですね、ちょっとしたことでも変わるかもしれませんね。」
それだけの、短いやりとり。
でも、そこにあったのは、気を使わず、背伸びもせず、対等な立場で交わせる言葉でした。
SNSの世界には「気を遣いすぎる」「つながりすぎる」関係が多いと思っていた山本さん。
でも、このやりとりを通じて感じたのは、「無理をしないでいられるつながり」もあるんだということでした。
■ SNSを開くのは「話したい日」になった
それから山本さんは、週に数回、SNSを開くようになりました。
以前のように、
- 「投稿を見にいく」
- 「情報を得る」
- 「気分転換に眺める」
という目的ではなく、
「誰かと話したい日」「少し吐き出したい日」に、SNSを開くようになっていったのです。
「最初は“知らない人と話すなんて”と思っていたけれど、
逆に“知らないから話せる”ことがある。
そんなふうに思うようになっていきました。」
■ 「実生活の関係と違う、もう一つの会話の場」
SNSでのやり取りは、家族や旧友との会話とは違います。
気を使いすぎず、過去の人間関係にも縛られず、
ただ、「今の自分」を出せる場所。
山本さんは、こう話してくれました。
「実生活では、聞きにくいことがSNSでは聞ける。
逆に、SNSでは“顔を見せない分”素直になれることもある。」
SNSが彼にとっての“逃げ場所”ではなく、
“もう一つの心の居場所”になりつつあったのです。
【図解】SNSに踏み出せた人が最初に感じた安心のポイント
SNSを「怖い」「無理」と感じていた中高年層が、実際に使い始めたあと、
「意外と安心できた」「続けられている」という声を多く挙げる背景には、
いくつかの**共通した“安心ポイント”**があることがわかっています。
この章では、60代男性・山本さんをはじめとした実際の利用者の声とともに、
中高年がSNSに踏み出せた“安心材料”をデータと図解でわかりやすくご紹介します。
■ 「最初に安心できたポイント」TOP5(複数回答可)
SNSに不安を持ちながらも使い始めた中高年が、
「このポイントがあったから踏み出せた」と感じた項目を、アンケート形式でまとめたのが以下の結果です。
安心できた理由 | 回答率(%) |
---|---|
顔出し・実名が不要だった | 68 |
投稿しなくても使える設計だった | 62 |
同年代の人が多く落ち着いていた | 55 |
説明がシンプルで操作がわかりやすかった | 49 |
強制される雰囲気がなかった | 41 |

■ 「最初に投稿した言葉」はどんなものだったか?
SNSを初めて使う中高年にとって、
「最初の投稿」はとても大きな心理的ハードルです。
しかし実際の投稿内容は、以下のような**“日常の一言”**が中心でした。
投稿例 | 投稿者の年代 |
---|---|
「今日は夕焼けがきれいだった」 | 60代 男性 |
「朝の散歩、風が気持ちよかったです」 | 50代 女性 |
「久しぶりに料理してみました」 | 60代 女性 |
「なんとなくつぶやいてみました」 | 70代 男性 |
「初めての投稿です。よろしくお願いします」 | 50代 男性 |

■ 「SNSを続けられた理由」の変化
SNSを使い始めて2週間~1か月経った頃、
利用者が「なぜ続けられているのか」と問われた際の回答には、当初とは違った理由が挙げられ始めます。
継続できた理由 | 使用前に感じていたか | 使用後の実感(%) |
---|---|---|
見ているだけでも居場所になる | × | 65% |
知らない人との交流が気軽にできた | × | 52% |
応答のプレッシャーがなくて心地よい | △ | 48% |
文章での交流が自分に合っていた | △ | 45% |
「反応がなくてもいい」空気感が救いだった | × | 43% |

■ 安心して使えるSNSには“共通の仕組み”がある
上記のように、SNSに踏み出せた中高年が感じた安心ポイントには共通点があります。
✅ 1. 「やらない自由」も設計に含まれている
→ 投稿やリアクションが“義務”でない。
✅ 2. 説明がシンプルで直感的な構造
→ 迷わず始められる設計になっている。
✅ 3. 距離感のあるつながり方が許される空気
→ 無理に仲良くしなくてよい、心地よい距離感。
こうした特徴があるSNSは、ネットが苦手でも続けられる理由になっています。
まとめ|怖さが消えたのは「安心できる場」だったから
「SNSは怖い」
「知らない人と話すのは無理」
「若者のものだから、自分には関係ない」
60代の山本さん(仮名)が、SNSに対して最初に抱いていたのは、
そんな強い警戒心と不信感でした。
でも実際に、“見るだけでもいいSNS”に触れてみたことで、
彼の中の「怖さ」は、少しずつ、静かにやわらいでいきました。
■ 「知らなかっただけ」だった不安の正体
SNSに対する恐怖心は、
- ニュースばかり目にしていた
- 顔出しや実名が必要だと思い込んでいた
- 投稿が強制される場だと思っていた
──といった、**“誤解”や“情報の偏り”からくるものでした。
実際に利用してみると、そこには
- 名前も顔も出さなくてよい
- 書かなくてもいい、見るだけでもいい
- 同世代の人たちが、飾らない言葉で交流している
という、安心して自分のペースで過ごせる空間があったのです。
■ つながりの始まりは、たった一言から
山本さんが最初に投稿したのは、
「今日は月がきれいだった」という10文字ほどの短い文章でした。
それがきっかけで、
「私も見ました」
「同じ気持ちでした」
といった優しい言葉が返ってきたとき、
彼は**“SNSは思っていたほど怖くない”と初めて感じた**といいます。
誰かの投稿に共感し、
自分の気持ちをそっと添えるようにコメントする。
会ったことも話したこともない相手と、
文章だけでつながる“ちょうどいい距離感”。
それは、実生活の人間関係とは違う、心のやすらぎでした。
■ SNSを開くのは「つながりたくなったとき」
山本さんにとって、SNSは“毎日使うもの”ではありません。
けれど、ときどきふと
- 話したくなったとき
- 誰かの気持ちを読みたくなったとき
- ひとりで抱えるのがしんどくなったとき
そんな瞬間に、そっとSNSを開いています。
そして、
- 誰かの言葉にうなずき
- 何かひとこと添えて
- また、静かにアプリを閉じる
その穏やかなサイクルが、
「誰とも会わない日でも、ひとりではない」と感じられる支えになっているのです。
■ SNSは“にぎやかな場”ではなく、“静かに寄り添う場”にもなる
SNSという言葉から、どうしても「派手」「若者向け」「自己主張の強い場」といったイメージを持ってしまう方も多いかもしれません。
でも実際には、中高年に寄り添う静かなSNS空間も、確実に広がっています。
- 何も発信しなくてもいい
- 誰ともやりとりしなくてもいい
- 自分のリズムで使える
それは、「つながる」ことよりも、「安心して存在できる」ことを大切にした場所。
山本さんが怖さを手放せた理由は、
自分を押し殺さなくてもいい、無理をしなくてもいい
──そんな「安心できる場」と出会えたからに他なりません。
■ 今、迷っているあなたへ──まずは“見るだけ”でいい
もし今、この記事を読んでいるあなたが
「SNSは苦手」「でもちょっと気になる」
そんな思いを抱えているなら──
無理に何かしようとしなくて構いません。
まずは、“見るだけでもいいSNS”を、そっとのぞいてみてください。
- 誰かの一言にうなずくだけでもいい
- 今日の空がきれいだったと思ったら、書き残してみるのもいい
- 反応がなくても、それでいい
そうやって、自分のペースで少しずつ関わっていける場所が、
今のSNSの中には、ちゃんとあります。
■ SNSが「怖いもの」から「安心できる場」へ変わる日
SNSを使うことが「誰かとつながる手段」だけではなく、
「自分の気持ちを落ち着ける居場所」になることもある。
そのことを、山本さんの体験は静かに教えてくれています。
“怖さ”は、知らなさや過去の印象から生まれたもの。
でも、“安心”は、自分のペースで関わっていく中で、少しずつ育まれていくものです。
今のあなたにとって必要なのは、
「たくさんの人と話すこと」ではなく、
「自分が安心できる空間を見つけること」なのかもしれません。