介護と孤独に疲れた私が、はじめて“スマホでつながった”夜
介護中心の生活で「話せる人」がいなくなった
※Aさん(仮名・60代女性・主婦)
親の介護が始まったとき、私は「家族だから当たり前のこと」だと思っていました。
でも気づけば、日常のすべてが介護中心になっていて――誰とも、まともに話せていないことに気づいたのです。
家族にも遠慮してしまう日常
私が介護しているのは、認知症を患った母です。夫は仕事で忙しく、子どもたちも独立して遠方に暮らしています。
日中は母の世話に追われ、夜は片付けや明日の準備。その合間に、たまに電話が鳴っても「疲れてるからまた今度にしよう」と出られない自分がいました。
家族には「大丈夫」と言い続けてしまう。
夫にも弱音は吐けない。
「疲れた」と言えば心配をかけるし、「つらい」と言えば責められる気がして――
どんどん本音をしまい込むクセがついていったのです。
介護をしていても「感情」は黙って抱えたまま
母は決して悪気があるわけではありません。
でも、同じことを何度も繰り返し聞かれたり、思いがけず怒られたりするたびに、心がすり減っていくのを感じました。
介護は“やるべきこと”が多いけれど、誰にも言えない“感情”の処理の方がもっと大変なのだと知りました。
怒り、悲しみ、罪悪感――
それらを飲み込んで、「今日もちゃんとやらなきゃ」と自分に言い聞かせる日々。
話せる人がいたら、
ほんの少し聞いてくれる人がいたら、
「ここまで溜め込まなくてもよかったかもしれない」と思うことが何度もありました。
誰かに“気持ちを聞いてほしい”という願い
私が求めていたのは、アドバイスでも励ましでもありませんでした。
ただ――「大変だったね」と言ってくれる誰かがほしかったのです。
「わかるよ」「私もそうだった」――そのひと言があれば、どれだけ心が救われただろうと、何度も思いました。
でも現実には、話しかける相手も、話題を切り出す場所もない。
「誰かに話したいけれど、誰にも話せない」――
そんな堂々巡りの中で、ますます自分の気持ちにフタをしていくのが日常になっていきました。
それでもある日、私はスマホを手に取りました。
それが、思いがけず“つながる夜”の始まりになるとは、
そのときはまだ、思ってもいなかったのです。
相談でも愚痴でもない、“ただ話す相手”がほしかった
誰かに話したい――でも「それが誰か」と考えたとき、私は言葉を失ってしまいました。
相談したいわけでもない、ただ誰かと“会話”がしたかった。
そんな気持ちに気づいたのは、ある夜、スマホを見つめていたときのことでした。
愚痴るのは申し訳ない、専門家に話すのも違う
「介護のこと、話せる人いる?」
何人かに聞かれたことがあります。でも私はいつも曖昧に笑ってごまかしていました。
家族や友人に話せば、きっと「大変だね」と言ってくれるでしょう。
でも、どこかで「私だけが大変なわけじゃない」とも思ってしまう。
“愚痴る”こと自体が申し訳ないと感じて、口が重くなるのです。
専門の相談窓口に話すことも考えました。
けれど、そこに求めていたのは助言ではなく、ただの“気持ちのやりとり”。
「それは専門家じゃなくてもいい」「むしろ、日常の延長線で話せる誰かがほしい」と思いました。
でも、ひとこと誰かに聞いてほしかった
例えば、「今日はすごく疲れた」とか、
「お母さん、また昨日と同じ話をしてたよ」とか――
たった一言でいいから、誰かに気持ちを共有したかった。
会話に正解はなくてよくて、
「うちもそうだよ」「わかるよ」って返してくれるだけでいい。
共感も、反応も、アドバイスもいらない。ただ“話せる”というだけでよかった。
それくらい、私は人との関わりに飢えていたのだと思います。
「話したいけど、誰にも言えない」の堂々巡り
気持ちを言葉にしたい。けれど、言う相手がいない。
そして言わなければ、気持ちはますます整理できずにぐるぐるする――
「話したいけど、誰にも言えない」その堂々巡りの苦しさは、思っていた以上に深かった。
LINEのやりとりは家族連絡のみ。電話は遠慮。友人とは距離ができた。
話したい内容は、あまりにプライベートで重たいから、SNSで無防備に出すのも怖い。
でも――
そんな私でも、“匿名でやりとりできる場”があるなら、試してみたいと思ったのです。
「失敗してもいい、誰かに読まれなくてもいい。でも、少しだけ誰かと話せたら」
そう思ったとき、私は初めて“会話だけのSNS”という言葉を検索しました。
はじめてスマホでつながったのは、夜中の投稿だった
「誰かと話したい」
そう思っていても、どこかで遠慮してしまっていた私が――
はじめて“つながり”を感じたのは、夜中の静かな時間帯でした。
不眠の夜に開いたSNS
母の介護が本格化してから、夜にぐっすり眠れることが少なくなりました。
体は疲れているのに、頭は冴えてしまって眠れない。
そんな夜、ベッドの中でふとスマホを開いたのです。
誰かが言っていた「SNSって、気楽に何か書ける場所だよ」との言葉が
心に残っていて、インストールだけしていたアプリを開いてみました。
ログインしてみると、誰かの日記やつぶやきが静かに流れていて――
そこには、励ましも説教もない、ただの「日常」が並んでいた。
「これなら、自分も何か言っていいかもしれない」と思ったのです。
「今日も疲れました」と書いただけで届いた反応
何か特別なことを書く必要はない。そう思って、私はスマホに
「今日も疲れました」
とだけ入力し、投稿ボタンを押しました。
誰も見ていないかもしれないし、何の反応もないかもしれない。
でも、吐き出せたことで少しだけ気持ちが軽くなりました。
ところがその数分後。スマホが小さく震えて通知が届きました。
「おつかれさまです」
「私も似たような一日でした」
「夜中は特にさみしくなりますよね」
短いけれど、温かくて、どこか私を包んでくれるような言葉たち。
驚きとともに、胸の奥にジンとくるものを感じました。
返ってきた言葉に、涙がこぼれた
SNSの中には、「わかるよ」と寄り添ってくれる誰かがいました。
相手は知らない人だけど、どこかで似たような経験をしてきた人たち。
誰にも言えなかった気持ちを、ようやく出せた瞬間。
しかも、それに対して**「返事」が返ってきた**。
たったそれだけのことなのに、私は気づいたら涙を流していました。
孤独で張り詰めていた心が、少しだけ緩んだのかもしれません。
“会うこと”も“顔を合わせること”もないのに、
たった一言で「人とつながれた」実感を持てたのです。
【図解】介護ストレスと孤独感の実態(実感TOP5)
介護に関わる時間が増えるにつれ、「自分の時間が持てない」だけでなく、「誰にも話せない」という心理的な孤立感が強くなる——。それは多くの中高年が共通して抱える、言葉にしにくい現実です。
ここでは、アンケート調査(50代〜60代の在宅介護経験者)をもとに、実際に感じられている介護による孤独の原因や、SNS利用後にどう気持ちが変化したのか、さらに「話せるSNS」と「話せないSNS」の違いについて、図解とともに解説します。
図1|中高年が感じる「介護による孤独」の原因TOP5

介護が原因で孤独を感じた理由として最も多かったのは、「相談できる人がいない」(63%)。
次いで「誰にも弱音を吐けない」(58%)、「感情を出す場所がない」(53%)など、気持ちの発散や共感の不足が深刻であることがわかります。
図2|SNS利用後の気持ちの変化(比較表)

項目 | SNS利用前(感じていたこと) | SNS利用後(変化したこと) |
---|---|---|
1. 毎日が介護だけで終わる | 74% | 32%(「つながりが生まれた」と回答) |
2. 感情を出す場がない | 68% | 40%(「気持ちを書いて楽になった」) |
3. 孤独感 | 65% | 38%(「読んでくれる人がいる安心」) |
4. 自分だけが大変だと思っていた | 61% | 30%(「同じ境遇の人がいた」) |
5. 気を遣いすぎて疲れる | 58% | 35%(「SNSでは無理せず話せた」) |
この表が示すように、「誰かに見てもらえる」「短い文章で気持ちを出せる」SNSの存在は、生活そのものの感覚を変える小さなきっかけとなっています。
図3|話せるSNSと、そうでないSNSの違い(表形式)
項目 | 話せるSNSの特徴 | 話せないSNSの傾向 |
---|---|---|
利用者層 | 同年代中心で安心感がある | 若年層が多く、投稿内容に距離感がある |
投稿のしやすさ | 短文・写真・つぶやき中心で気軽 | 本格的な投稿や加工が求められ疲れる |
反応の受け取りやすさ | コメントやリアクションがあたたかい | 無視・過剰な批判が不安を招くことも |
会話の“入り口” | 趣味や日常ネタから自然につながる | 話題が限定的・流れが早すぎて入りづらい |
自分のペースでのやりとり | 通知や返信を急がされない安心感がある | 常にアクティブでないと疎外感を感じやすい |
介護中の人にとって大切なのは、「誰かと話せる」ことよりも、「無理なく、自然に話し始められる」こと。
話しかけやすい雰囲気や、急かされないペースがあるSNSが、孤独の緩和に直結しているのです。
スマホが苦手でも「見るだけ」から始められた
最初は何もしなくてよかった
「SNSって、投稿したり返信したりしなきゃいけないんでしょ?」
そう思っていた私は、実は最初、登録しただけで何もせずに放置していました。
操作に不安があったこともありますし、「変なことを書いてしまったらどうしよう」という気持ちもありました。
でも、ログインして見るだけなら誰にも迷惑はかかりません。
他の人の投稿を眺めているうちに、「ああ、こんなふうに書けばいいんだ」と感覚をつかめるようになっていきました。
誰かに話しかけられるわけでもなく、自分からも無理に発信しなくていい環境が、「ここなら自分にもできるかも」と思わせてくれたのです。
他の人の投稿を読んでいるだけで救われた
投稿を読んでいると、同じように介護をしている人が日々の出来事や気持ちを書いていました。
「今日はちょっと疲れたけど、母に“ありがとう”って言われて救われた」
「気持ちが不安定なときほど、SNSで誰かの言葉に助けられる」
そんな文章に、私は何度も画面の前で涙をこらえました。
「自分だけじゃない」と思えたとき、重たかった気持ちが少しずつ軽くなるのを感じたのです。
見るだけでも十分、心に届く言葉はある。
それがSNSのいいところなのかもしれません。
ひと言返すだけで“人とつながった”実感
やがて私は、気になる投稿に短い一言を返せるようになりました。
「わかります」「私も同じです」――ほんの数文字でも、返信すると相手が「ありがとう」と返してくれる。
たったそれだけのことで、人とちゃんとつながっている気がしました。
誰かの投稿を読んで、共感して、ひとこと伝える。
それだけで、「自分にもできる」「つながっている」という実感を得られたのです。
スマホが苦手でも、完璧じゃなくていい。見るだけ、読むだけ、そして一言だけでも、ちゃんと意味がある。
今ではそう信じられます。
介護の合間に気持ちを整えられる“会話の場所”
誰かに聞いてもらうだけで落ち着く
介護の現場では、イライラしたり、疲れたりしても、それを誰かにぶつけるわけにはいきません。
ましてや、介護されている本人に愚痴をこぼすなんてできない。
結果として、どんどん自分の中に不満や疲労がたまっていきます。
でも、SNSに少し書くだけで、不思議と気持ちが整理される瞬間がありました。
「今日も疲れたけど、なんとか一日が終わりました」
そんな短い投稿にも、「お疲れさまでした」「わかります」というコメントが返ってくると、
それだけで、「ちゃんと気持ちを出せた」と感じられて、心がスッと軽くなったのです。
話すだけで落ち着く――その感覚を、SNSで初めて実感しました。
相手に気を遣わなくていい距離感
リアルな人間関係では、どうしても「相手の事情」や「気遣い」がついて回ります。
「忙しいかもしれないから、連絡するのをやめておこう」
「今、暗い話をするのは悪いかな」
そんなふうに考えてしまって、余計に誰にも話せなくなることも多かったです。
でも、SNSでは相手の都合を気にしなくて済む。
読んだ人が反応してくれるかもしれないし、されなくてもそれで終わり。
“話したいときにだけ話せる”“聞きたいときにだけ読める”というちょうどいい距離感が、
介護の合間に気持ちを落ち着かせるのにちょうどよかったのです。
「また投稿してみよう」と思えるようになった日
最初は戸惑いながら投稿していたSNS。
でも、誰かから返事があったり、似た境遇の人とやり取りができたりすると、
「また今日も、ひとこと書いてみようかな」と思えるようになりました。
それは義務でも習慣でもなく、自分の中から自然と湧き上がってきた気持ち。
毎日ではないけれど、少しずつ、自分の言葉を残せるようになっていきました。
気持ちを整える“場所”があるだけで、
介護生活の中にも「わたし自身に戻れる時間」が生まれた――
そう実感しています。
同じ悩みを抱える人に、“つながる勇気”を届けたい
会ったことがなくても、わかってくれる人がいる
介護の悩みは、経験した人にしかわからないことがたくさんあります。
でも現実では、そうした経験を共有できる相手を見つけるのは簡単ではありません。
SNSで出会った人の中には、顔も名前も知らない人ばかり。
それでも、ひと言コメントをくれる人の文章には、こちらの気持ちを察してくれるようなやさしさがありました。
「その気持ち、わかりますよ」
その一文に、どれほど救われたかわかりません。
会ったことがなくても、遠くに住んでいても、
“自分の気持ちを理解してくれる人”がいる。
それだけで、心がふっと軽くなる瞬間があるのです。
話せる場所があるだけで、心が軽くなる
介護の疲れや孤独は、「聞いてくれる人がいない」と強く感じることでさらに深まります。
でも、話せる場所――それも、“否定されずに受け止めてもらえる場所”があると、
それだけで気持ちは大きく変わります。
SNSで「少し話してみる」ことで、
「今日も頑張ったな」「ひとりじゃないな」と思える。
何かを解決できなくても、ただ聞いてもらうだけで前を向けるようになる。
介護は続いていくものだけれど、
“話せる居場所”があるだけで、孤独の重さは確実に変わっていきます。
一人で抱えこまないために、今すぐできる選択肢
このページを読んでいる人の中には、
「SNSなんてやったことがない」
「自分が使えるかどうか不安」と思っている人もいるかもしれません。
でも大丈夫です。
私も最初は“見るだけ”から始めました。誰にも返事をしなくても、投稿しなくてもいい。
それでも、誰かの投稿に共感して心が温まったり、自分の気持ちと向き合えたりすることがありました。
「今のままじゃつらい」と思ったら、ほんの少し勇気を出してみてください。
難しいことではありません。
アプリを入れて、気になる投稿を読む――それだけでも、十分な一歩です。
“つながること”は、特別な人だけのものではなく、誰にでも開かれています。
あなたのつらさを、あなただけで抱えなくていい。
そのことを、ぜひ知ってほしいのです。