熟年離婚後、孤独を感じた私がSNSで“会話の温かさ”に救われた話
離婚後の静かな部屋に耐えられなかった
◯ 大谷さん(仮名・60代女性・地方在住・離婚後一人暮らし)
「こんなに静かだったっけ?」
離婚して最初の夜、家の中が妙に静かで、私はその“音のなさ”に驚きました。テレビの音も、時計の針の音も聞こえているのに、どこか耳にキーンとするような静けさがありました。
60歳を迎えた私は、それまで夫と何十年も一緒に暮らしてきました。口数は少なかったけれど、家に誰かがいるというだけで「話せるかもしれない」という安心があったことに、その時になって気づきました。
「孤独」とは違う、空虚という感覚
離婚してひとりになったとき、よく言われる「孤独」という言葉が、自分の気持ちと少し違うように感じました。
たしかに誰もいない部屋に戻るのは寂しい。でも、それ以上に「この静けさに、これからずっと付き合っていくのか…」という 空虚感 のほうが強かったんです。
ご飯を作っても、誰も食べてくれない。
面白いテレビを見ても、感想を言い合う相手がいない。
そういう“小さな共有”がなくなると、日常はただの繰り返しになってしまいます。
気軽に電話する相手もいない現実
若いころは友達も多く、しょっちゅう連絡を取り合っていました。
でも50代、60代にもなると、連絡先に残っている人はいても「こんなことで電話していいのかな」と思ってしまって、結局一人で抱え込んでしまう。
子どもたちはそれぞれの生活があるし、何気ない雑談をするには申し訳ない気がして遠慮してしまいます。
声を出さない日が増えると気持ちも沈む
離婚後の生活で、一番つらかったのは「声を出すこと」が本当に減ったことです。
誰とも話さない日が何日か続くと、気づかないうちに心がどんよりと重くなる。
そんなとき、ふと「声に出さない会話」でもいいから、誰かとつながっていたいと思うようになったんです。
それが後に、SNSを始めるきっかけにもつながっていきました。
「誰かと話したい」けど、マッチングアプリには踏み出せなかった
離婚から数ヶ月。
少しずつ生活には慣れてきたものの、心のどこかには常に「誰かと話したい」という気持ちがありました。
でも、その“誰か”が誰なのか、自分でもはっきりしませんでした。
「マッチングアプリ」が頭をよぎったけれど…
ある日、テレビ番組で「シニアのマッチングアプリが人気」という特集を見て、
「こういうものがあるのか」と興味を持ったのが最初でした。
でも、いざスマホで検索してみると、どこか自分には“縁遠い世界”に感じてしまったんです。
・写真を載せる
・いいねを送り合う
・相手とやり取りして仲を深める…
そんな“恋愛前提”のような流れが、今の私にはどうしても重たく感じました。
「恋愛」より「会話」がしたかった
正直に言えば、当時の私は“恋愛”をしたいわけではなかったんです。
ただ、「今日ちょっと寒いですね」とか「この前テレビで見たあの番組、面白かったですね」といった、
日常のどうでもいいことを誰かとやり取りしたかった。
でも、マッチングアプリの紹介ページには「理想の出会い」「再婚相手を探す」などの言葉が並んでいて、
「今の私が求めているのは、これじゃない」と思って引き返してしまいました。
もっと“気軽な会話の場”を探してみようと思った
それでも、「誰かとつながりたい」という思いは消えませんでした。
電話するには重い。でも、LINEを送りつけるような相手もいない。
「だったら、知らない誰かと、雑談ができる場所はないのかな?」と探し始めたときに、
SNSの存在を思い出しました。
FacebookやInstagramとは違う、中高年向けの交流SNSやチャットアプリの存在を知ったのは、そのときです。
プロフィールの年齢層も近く、「恋愛前提ではなく会話を楽しむ場」と紹介されていたことに、心がふっと軽くなりました。
はじめて投稿したひと言に、思いがけない反応が
SNSに登録したものの、最初は何を投稿すればいいのかわからず、
しばらくは他の人の投稿を見ているだけの日々が続きました。
それでも、画面の向こうに同じような年齢の方が、
日々のことや好きなテレビ番組、昔の思い出などを自由に書き込んでいる様子を見て、
少しずつ「私も書いてみようかな」という気持ちが湧いてきたのです。
書いたのは、たったひと言のつぶやき
ある夜、ふと投稿ボタンを押して書いたのは
「今日は風が冷たかったですね」という、たった一行。
まさに何気ない独り言でした。
「こんなこと、誰も読まないかも」
「コメントなんてつくわけがない」
そう思いながら画面を閉じたのを、今でも覚えています。
翌朝、画面に並んだ“あたたかい言葉”
次の日、スマホを開くと、驚くことが起きていました。
その投稿に、**「ほんとに寒かったですよね」「うちの地方では霜が降りましたよ」**といった返信が、
何件もついていたのです。
まったく知らない人たちなのに、
まるで昔からの知り合いのように言葉を返してくれていて、
そのひとつひとつが胸にじんと沁みました。
「話が続く」って、こんなにうれしいことなんだ
その後もやりとりは続き、
「最近寒いと肩がこるんですよね」
「うちでは猫がコタツから出てきません」
といった“どうでもいい話”で、自然とコメント欄に笑いが生まれていました。
離婚してから、誰かとこんなふうに言葉のキャッチボールをしたのは、いつぶりだったでしょうか。
“特別な会話”ではないのに、誰かと話すだけでこんなにも心があたたかくなるなんて。
あのときの気持ちは、今も忘れられません。
【図解】熟年離婚後に感じた孤独とSNSで得た安心感
熟年離婚を経験した後、多くの人が感じるのは、
**「ひとりでいる時間の増加」や「会話の機会の減少」**です。
それまで日常的にあったパートナーとのやり取りがなくなり、
「静かすぎる部屋」「声を出さない一日」が、知らぬ間に心に影を落とすことがあります。
ここでは、実際に熟年離婚を経験した50代・60代の女性を対象にしたアンケート結果から、
「孤独の理由」と「SNS利用後の安心感の変化」を図で紹介します。
【図1】熟年離婚後に感じた孤独の理由(複数回答・上位5つ)

理由 | 割合 |
---|---|
話し相手がいない | 65% |
夕食を一人で食べる時間がつらい | 59% |
誰にも日常の出来事を話せない | 52% |
家に帰っても無音のまま | 48% |
将来への不安を一人で抱える | 44% |
【図2】SNS利用後に感じた安心感(複数回答・上位5つ)

安心感の内容 | 割合 |
---|---|
「自分の投稿に反応がある」ことで気持ちが前向きに | 58% |
「誰かが見てくれている」と感じられた | 55% |
話しかけてくれる人がいてホッとした | 50% |
画面越しでも人とのやり取りがうれしい | 45% |
会う必要がない“距離感”がちょうどよかった | 41% |
SNSだからこそ「恋愛」よりも“人と話す”が叶った
熟年離婚を経験した当初、筆者も「このままずっと一人なのかもしれない」と不安を抱いていました。頭をよぎったのは“マッチングアプリ”という選択肢。でも、実際には「恋愛したい」という気持ちよりも、「ただ誰かと話したい」という思いのほうがずっと強かったのです。
恋愛の前に、「話し相手」が必要だった
マッチングアプリには抵抗がありました。「プロフィールの印象で判断されるのでは」「年齢で相手にされないのでは」といった不安もあり、そもそも“恋愛”という言葉の重さに戸惑ってしまう自分がいました。
そんなときに見つけたのが、年齢層が高めのSNS。特に「趣味の投稿」「日常の一言」「他愛ない写真」がメインのやり取りには、恋愛の駆け引きのような緊張感がなく、純粋に“人とつながる場”としての温かさがありました。
会わなくても、人とのやり取りが生まれる場
SNSの魅力は、距離感のちょうどよさにあります。無理に会わなくても、返信を強要されることもなく、ただ見てくれて、ひとこと声をかけてくれる人がいる――その安心感は、想像以上でした。
「おはようございます」「その写真素敵ですね」――こんな短いやり取りでも、自分の存在が誰かに届いていることが嬉しい。誰かに“気にかけてもらう”という感覚を、久しぶりに思い出しました。
「人と話す」ことのハードルを下げてくれる
SNSは、“恋愛相手を探す場所”ではなく、“話し相手が見つかる場所”でもあるのだと、身をもって感じました。
同じように、恋愛という言葉には抵抗があるけれど、孤独を感じている方にこそ、このようなSNSをおすすめしたいと思います。「誰かとつながっていたい」――その気持ちがあるなら、恋愛でなくても、充分に日常は温かくなるのです。
誰かと“やりとり”できるだけで、日々は変わる
熟年離婚を経て、静まり返った家での生活が始まったとき、最も辛かったのは「沈黙」でした。誰とも言葉を交わさないまま一日が終わることが、これほど心に重くのしかかるとは思いもしませんでした。
でも、SNSで“やりとり”が始まってから、日常は少しずつ、けれど確実に変わり始めたのです。
返事があることが、こんなにも嬉しい
最初は、「いい天気ですね」とたったひとことの投稿。でも、それに「今日は洗濯日和ですよね」と返してくれた人がいました。
たったそれだけの、ほんの一言。でも、返事がもらえるというだけで、「私は誰かとつながっている」と実感できたのです。
会話ではなくても、絵文字だけでもいい。スタンプや「いいね」でも、自分の存在が“誰かに届いた”と思えることで、心の中にあたたかな明かりが灯る感覚がありました。
やりとりが「生活のリズム」になっていく
「今日は何を書こうかな」「昨日の出来事をシェアしてみよう」――そんな小さな目標ができるようになりました。
朝、起きてスマホを開くと、誰かのやさしいコメントが届いている。夕方には、自分も誰かの投稿に反応を返す。
この“やりとり”があることで、一日の始まりと終わりにリズムが生まれました。ただ黙って過ごしていた頃とは違って、「また明日も何かがあるかもしれない」と思えるようになったのです。
「会わなくても人とつながれる」安心感
SNSの良さは、気負わなくていいところ。相手の顔が見えなくても、言葉のやりとりだけで心が通う瞬間があります。
リアルな人間関係では難しい「ちょうどよい距離感」が、SNSにはあります。無理に合わせる必要も、毎日話す必要もない。でも、ふと誰かが声をかけてくれる――そんなつながりが、心の支えになるのです。
一人きりじゃないと思えることが、何よりの支えに
“やりとり”があるというだけで、気づけば「独り言」ではなく「会話」が生活に戻ってきました。
投稿に対して誰かが反応をくれる。ときには同じ趣味の話題で盛り上がることもある。会ったことのない人でも、まるで遠い友達のような距離感で寄り添ってくれる。
SNSは、決して若い人だけのものではありません。“会話のない毎日”を変えてくれたこのツールを、かつての私と同じような状況にいる人にこそ、そっと勧めたいと思っています。
孤独を感じている人にこそSNSをすすめたい理由
孤独という言葉は、ときにとても大げさに聞こえるかもしれません。
でも「ふと誰かに話しかけたくなる」「誰にも言えない気持ちが心の中に溜まっている」――
そんな瞬間があるのなら、それはきっと“つながり”を求めているサインなのだと思います。
大切なのは「話したい気持ち」を無視しないこと
私自身、離婚してしばらくの間は、
「一人の生活にもそのうち慣れるだろう」と言い聞かせていました。
でも、本当は話したかった。
誰かに聞いてほしかった。
そんな気持ちをずっと心の奥にしまい込んでいたのです。
SNSを始めたのは、ほんの小さなきっかけでした。
でもその小さな一歩が、私の気持ちを大きく変えてくれました。
SNSは「言葉を届け合える場所」
SNSの良いところは、会わなくても言葉を交わせること。
会話の始まりは、「こんばんは」「今日は寒いですね」といった日常のひと言からでいいんです。
そこに反応が返ってくるだけで、「私の声が届いた」と思える。
それは、思っていた以上に心強く、温かな体験でした。
「合わなくてもいい」からこそ、気が楽
リアルな関係だと、相手に気を使ったり、会う時間を合わせたり、
いろいろな“配慮”が必要ですよね。
でもSNSでは、無理せず、自分のペースで関われるのが魅力です。
同じような経験をした人が、遠く離れた場所からやさしく言葉をかけてくれることもありました。
そのひと言に、涙がこぼれたこともあります。
孤独を“ゼロ”にしなくてもいい
SNSを使ったからといって、急に毎日がにぎやかになるわけではありません。
でも、**「誰かがいる」**と感じられるだけで、気持ちはずいぶん違う。
孤独を完全に消すのではなく、「和らげる」。
それが、SNSの役割だと今は思っています。
最初の一歩を、怖がらなくていい
「何を書けばいいか分からない」
「誰にも反応されなかったらどうしよう」
始める前は、私もそんなふうに思っていました。
でも、ひとこと投稿してみたら、ちゃんと誰かが反応してくれたんです。
その時、ようやく「つながってもいいんだ」と思えました。
もし今、同じように迷っている方がいたら――
無理に大きな一歩を踏み出す必要はありません。
ほんの小さな“ひと言”からで、大丈夫です。
「話せる場所」は、心を支えてくれる
孤独は、誰にとっても辛いものです。
でも、言葉を交わせる場所があるだけで、毎日の見え方が変わってきます。
私はSNSを通じて、それを実感しました。
だからこそ、今伝えたいのです。
「話したい」と感じたら、その気持ちをそのまま投稿してみてください。
そこには、きっと――
あなたの言葉を、やさしく受け止めてくれる誰かがいます。