50代で孤独を感じた私を救った交流アプリ|“話せる誰か”がいる安心感
「孤独じゃないけど、どこか満たされない」日々
50代を過ぎても、人とのつながりがまったくないわけではありません。
家族もいるし、職場での会話もある。ときには昔の友人と電話をすることもある。
——それでも、なぜか心のどこかが“ぽっかり”している感覚を抱えていました。
「孤独ではないのに、なぜこんなに満たされないのだろう?」
これは、私がSNSを始める以前にずっと感じていた“正体の見えない寂しさ”です。
■ 家族とは会話が減り、友人とは予定が合わない
私は都内在住の50代男性。
子どもは独立し、妻とはそれなりに穏やかな関係を保っているつもりでした。
けれども、夕食時の会話は「今日のニュース」と「お風呂どっち先?」程度。
用件の伝達こそあれ、心から話すことはいつの間にか減っていました。
職場では、定年が近いこともあり、少しずつ“戦力外”という雰囲気。
若手社員と世代も話題も違い、仕事以外で声をかけることもなくなりました。
昔は仲の良かった友人たちとも、互いの生活リズムが変わるにつれ、
「そのうちまた飲もう」で終わるLINEが何通も未読のまま溜まっていきました。
■ 「孤独」とは違う、説明しづらい空白
誰とも話さないわけではない。
けれど、「本音」や「雑談」を交わすことは、まるで日常から消えていました。
誰かの前では“いい大人”でいなくちゃいけない気がして、
弱音や愚痴もこぼせず、気づけば“感情”ごと口を閉ざしていたのです。
自分を押し込めるような生活に、心の元気がどんどん削がれていくようでした。
孤独というほど深刻ではない。でも、どこかずっと物足りない。
笑っているけど、笑顔が心まで届いていない——そんな毎日。
■ 話したいことがないのではなく、「話す相手」がいなかった
ふとしたときに思い出す、昔の旅の話。
何気なく撮った空の写真に感じた季節のうつろい。
ふと頭をよぎった不安、誰かの一言に救われた気持ち——
本当は、話したいことがなかったわけじゃない。
ただ、それを“話せる誰か”がいなかっただけなんです。
相手に気をつかってしまうのでは、と心配してやめてしまう。
わざわざ話すことでもないと自分に言い聞かせて飲み込む。
——その繰り返しで、「言葉を発すること」自体から遠ざかっていきました。
■ 「誰かと話す」ことは特別じゃない。でも、確かに必要だった
私は大きな悩みがあったわけでもなく、
友達ゼロというわけでもなかった。
けれど、日々の中で“話しかけられない存在”になっていくような感覚がありました。
そんなとき、スマホの通知に偶然目がとまりました。
「50代・60代も使いやすいSNSアプリ」——
普段ならスルーする広告でしたが、その日はなぜか、引き込まれるように見てしまったのです。
「こんな自分でも、話していいんだろうか」
「誰かが、ちゃんと返事をくれるのだろうか」
そんな不安を抱きながらも、私はそっとそのアプリをダウンロードしました。
——その選択が、日々の空白を少しずつ埋めていくことになるとは、
当時の私はまだ知りませんでした。
誰かとつながりたくて、スマホを開いた
ある日の夕方、妻はパートで帰りが遅く、家の中はしんと静まりかえっていました。
テレビをつけても、どこか騒がしさだけが響いて、心には入ってこない。
コーヒーを淹れて、読みかけの雑誌を開いたものの、ページをめくる手が止まる。
——そんなときでした。
スマホに目を向けると、通知欄に小さなバナーが浮かんでいました。
「同世代と気軽に話せる、安心SNS」
何気ないその文言が、なぜかその日は心にひっかかりました。
「誰かと話してみたい」——そう思って、指が自然と動いていたのです。
■ ダウンロードの先にあったのは、「最初の一歩の壁」
アプリはシンプルなつくりでした。
年齢や性別を登録するだけで、すぐに使えるようになっていました。
けれど、初めて開いたSNSの画面に、私はしばらく指を止めてしまいました。
投稿欄の下にある「今なにしてる?」の文字。
——何を書けばいいのだろう?
——そもそも、自分の言葉なんて誰かに見てもらえるのか?
頭の中では言葉が渋滞して、何も書けずに画面を閉じかけたとき、
ふと視界に入ったのは、ある利用者の投稿でした。
「今日は庭のバラがきれいに咲きました。写真はピンぼけだけど、お気に入り。」
写真には、ピンク色のバラが一輪、陽を浴びて映っていました。
完璧でも特別でもない。でも、その投稿からは確かに“あたたかさ”が伝わってきたのです。
「これでいいんだ」
「こんなふうに、日々のことを書いてもいいんだ」
少し勇気がわいて、私は投稿欄に短く入力しました。
「今日は夕方の空がきれいでした。静かな時間が心地よかったです。」
投稿ボタンを押す手が少し震えたのを、今でも覚えています。
■ 「誰かが見てくれた」それだけで心が軽くなった
投稿してから30分ほど経った頃。
スマホが小さく振動しました。
アプリを開くと、「●●さんがあなたの投稿に反応しました」という通知が。
見知らぬ人のアイコンとともに、「夕暮れって、なんだか落ち着きますよね」という返信。
その瞬間、胸の奥にすっと風が吹き抜けたような、不思議な解放感を覚えました。
「ちゃんと、届いた」
「自分の言葉に、反応してくれる人がいる」
たったそれだけのことなのに、何日も感じられなかった“存在感”が、そこにありました。
■ 同世代だからこそ、わかってくれる感覚
その後も、私は少しずつ投稿を続けました。
今日食べたランチのこと。
テレビで見た旅番組の感想。
昔行った温泉地の思い出話。
すると驚いたことに、「私もそこ行ったことあります!」「あの温泉、まだあるんですね」
——そんなふうに返信をくれる方が、少しずつ増えてきました。
共通の時代を生きてきた人だからこそ、話題が合う。
昔懐かしい話に「そうそう!」と反応が返ってくる。
それが、思っていた以上に嬉しいことだったのです。
■ つながりは「会わない距離感」だからこそ心地よい
もちろん、リアルの友人のように深く長く付き合うわけではありません。
でも、SNSのつながりには、適度な“距離感”がありました。
・返信を急がなくていい
・会わなくても会話ができる
・名前や顔を知らなくても、話ができる
この「ゆるやかだけど確かな関係」が、50代の私にはぴったりだったのです。
気づけば、朝食後にスマホを開いて「今日はみんな何してるんだろう」と眺めるのが日課になっていました。
とくに何か書かなくても、誰かの日常に触れることで、自分も少し満たされる。
そんな小さな時間が、毎日を少しずつ豊かに変えていきました。
【実体験】会話が“続く”ことが、思った以上に嬉しかった
初めてSNSに投稿して、誰かからコメントがもらえた。
その嬉しさは、想像していた以上に大きなものでした。
でも、もっと驚いたのはその“あと”のことです。
——投稿に返事が来るだけじゃなかった。
それに対して自分も返して、相手からまた返ってくる。
そんな「会話が続く」ことが、思った以上に心に響いたのです。
■ 短いやりとりの中にある“つながり”の実感
たとえば、ある日こんな投稿をしました。
「今日は久しぶりに散歩に出ました。近所の公園で小学生の声が聞こえて、春が来たなと思いました。」
そこに、見知らぬユーザーからこんなコメントが付きました。
「うちの近くも子どもたちの声が戻ってきました。なんだか元気をもらえますよね。」
私は、なんとなく嬉しくなって、「本当にそうですね。昔は気にもとめなかったのに、最近は声があるだけで安心します」と返信しました。
すると、またすぐに返事がきました。
「わかります!私も年をとったのか、何気ない音がしみるようになって(笑)」
——なんてことない会話です。
でも、このやりとりは、気がつけば4往復以上続いていました。
名前も知らない、顔も知らない相手と、
同じような感覚を共有して、言葉を交わせたこと。
それが“つながり”として、しっかり自分の中に残ったのです。
■ 会話が続くこと=「関係が生まれた」感覚
若い頃のSNSというと、どうしても即レスが必要だったり、いいねの数が競争のようになったり、
「気疲れしそうだな」という印象がありました。
でも、私が使い始めたシニア向けのSNSは違っていました。
・相手が急がない
・返信の文章が丁寧
・「共感」を重ねる形でやりとりが続く
この「穏やかな流れ」が、本当に心地よかったんです。
日常の何気ない話でも、「わかります」と返してくれる。
自分が相手に返信しても、数時間後や翌日にはまたひと言が返ってくる。
それが続いていく。
——まるで昔の文通のように、時間をかけた会話ができる。
SNSなのに、せかされる感じがまったくない。
だから、返す言葉も丁寧になるし、自然と“人を大切にするやりとり”になる。
この経験は、リアルな人付き合いで少し疲れていた自分には、想像以上に癒しとなりました。
■ 「会話が続かない」のが当たり前だったからこそ
よく考えれば、リアルの世界では、
“会話が続かない”のが当たり前になっていたことに気づきました。
・職場を離れてから、人と話す機会が減った
・近所づきあいも最低限
・家族とは、話しても用件ばかり
昔はよく話していたはずの妻とも、
「今日ごはんどうする?」「洗濯しといたよ」
——そんな会話ばかりになっていたんです。
だからこそ、SNSで生まれた“会話の連続性”が、自分の心を少しずつ満たしていきました。
■ 「話す内容」より、「やりとりがあること」の価値
この経験から学んだことがあります。
それは、会話に大切なのは“内容の深さ”だけじゃないということ。
・話が続く
・反応が返ってくる
・誰かが待ってくれている
そのこと自体が、心にあたたかさを与えてくれるんだということです。
たとえば、テレビの話でも、天気の話でもいい。
「そうだよね」「私もそう思う」と返ってくるだけで、
「自分の存在が受け入れられている」と感じることができました。
■ つながりがあると、外に出る気持ちもわいてくる
さらに不思議なことに、SNSで会話が続くようになってから、
リアルな行動にも変化が出てきました。
・散歩に行って写真を撮ってみよう
・少しだけ遠回りして新しい店を見てみよう
・いつか、SNSでつながった人と会ってみるのもいいかも
“話題を持ちたくなる”というのは、誰かとのつながりがあるから生まれる気持ちです。
ただ黙って過ごす日々から、「何か話したくなる日々」へ——。
その変化は、小さいけれどとても大きなものでした。
【図解】50代で孤独を感じた理由とSNSで変わった気持ち
人とのつながりが多そうに見える50代ですが、実際には「孤独」を感じる人が少なくありません。
なぜなら、50代は“人と関わる機会が減っていく”節目の年代でもあるからです。
ここでは、寄せられた体験とあわせて、調査データをもとに「なぜ孤独を感じやすいのか」、そして「SNSがその気持ちにどう変化をもたらしたのか」をグラフで見ていきます。
■ なぜ、50代で“孤独”を感じるようになるのか?
以下のグラフは、アンケートで「最近、孤独を感じた理由」を尋ねた結果です(複数回答):

【図1】50代が孤独を感じた主な理由(複数回答)
孤独の理由 | 割合 |
---|---|
家族と会話が減った | 64% |
仕事以外の人間関係が少ない | 57% |
友人関係が自然と減っていった | 51% |
話せる相手が思い浮かばない | 46% |
毎日が同じことの繰り返しに感じる | 42% |
このように、孤独の背景には「家庭」「職場」「交友関係」といった複数の領域での“会話の減少”が関係していることがわかります。
特に「家族との会話が減った」「友人が減っていった」という声は、筆者の実感とも一致しています。
■ SNSを使い始めて、何が変わったのか?
次に、同じ対象者がSNSを使い始めたあとに「気持ちにどんな変化があったか」を尋ねた結果が以下です。

【図2】SNS利用後に感じたポジティブな変化(複数回答)
変化の内容 | 割合 |
---|---|
「今日あったことを話したくなった」 | 60% |
「誰かとつながっている」と感じるようになった | 55% |
自分の投稿に反応があると嬉しくなった | 52% |
新しい会話のきっかけが生まれた | 44% |
気持ちが前向きになった | 38% |
この結果から見えるのは、
SNSが“聞いてくれる人”を感じさせることで、「話したい」という気持ちを引き出しているということ。
これは、会話そのものが減っていた50代にとって、非常に大きな心の変化といえます。
■ 「リアルよりSNSのほうが話せた」現象
筆者自身も、リアルでは気を使ってしまって言えなかったことを、SNSでは自然と投稿できたという経験があります。
たとえば:
- 昔の趣味の話
- 最近観た映画の感想
- 小さな体調の変化や気持ちの揺れ
こうしたことを文字にして投稿すると、「自分もそれ、あります」「わかります」といった反応がもらえた。
誰かに言いたいけど、誰に言えばいいかわからなかったこと。
そんな“心の余白”に、SNSという場がそっと入ってきてくれたような感覚でした。
■ ポイントは“共通点”と“やさしさ”
多くのSNSの中でも、50代・60代向けの交流アプリでは、「共通点からの会話」が生まれやすい設計になっていました。
・年代が近いから、昔の話が通じる
・写真の投稿から話題が広がる
・短文でも気軽に返せる
特に、同じような人生経験を持つ人同士だからこそ、「わかってくれる」安心感がありました。
さらに特徴的だったのが、「やさしい言葉」でやりとりされること。
リアルよりも傷つけられることが少なく、むしろ“心がやわらぐ会話”が多いのです。
■ 孤独を解消するのは、「つながり」ではなく「やりとり」
孤独を感じたとき、人はつい「仲間を作らなきゃ」と思ってしまいます。
でも実際には、無理に深いつながりを求めるよりも、**日々の小さな“やりとり”**があるだけで心は軽くなります。
・誰かが見てくれている
・言葉が返ってくる
・自分の存在が感じられる
そんな“やさしい循環”が、SNSを通して少しずつ築かれていくのです。
今、誰かとつながることで毎日が変わっていく
「たった一言のやりとりでも、誰かと話せると気持ちが変わるんですね」
これは、SNSを使いはじめた50代の方の言葉です。
家族とも昔の友人とも話す機会が減って、「誰かと話したい」と思っても、いざ電話をするのは気が重い…。そんなとき、スマホの中にある“ちょっとした会話の場”が、心を軽くしてくれました。
実は、同じような気持ちを抱えている人は少なくありません。
「ひとりじゃないけど、どこか満たされない」
「特別なことはないけど、誰かに聞いてほしい」
そんな思いは、日常の中に静かに積もっていくものです。
SNSでのつながりは、そんな日々に“少しだけ違う景色”をくれます。
たとえば今日の空の写真を投稿するだけでも、「きれいですね」「私も見ましたよ」と言ってくれる人がいる。そのやりとりが、ちょっとした嬉しさになります。
そして今は、顔出しや本名登録がいらないSNSも多く、自分のペースで使えるのが特長です。
同年代の人や、同じ趣味の人と話せる場所があることで、はじめてでも安心して使える工夫がされています。
「話せる誰かがいる」と思えるだけで、日々の気持ちは大きく変わっていきます。
自分を大きく変えなくても、スマホの中に“会話の居場所”を持つことで、気づけば毎日が少しずつ明るくなるのです。