50代で孤独を感じた私を救った交流アプリ

体験談・コラム

50代で孤独を感じた私を救った交流アプリ|“話せる誰か”がいる安心感

  1. 「孤独じゃないけど、どこか満たされない」日々
    1. ■ 家族とは会話が減り、友人とは予定が合わない
    2. ■ 「孤独」とは違う、説明しづらい空白
    3. ■ 話したいことがないのではなく、「話す相手」がいなかった
    4. ■ 「誰かと話す」ことは特別じゃない。でも、確かに必要だった
  2. 誰かとつながりたくて、スマホを開いた
    1. ■ ダウンロードの先にあったのは、「最初の一歩の壁」
    2. ■ 「誰かが見てくれた」それだけで心が軽くなった
    3. ■ 同世代だからこそ、わかってくれる感覚
    4. ■ つながりは「会わない距離感」だからこそ心地よい
  3. 【実体験】会話が“続く”ことが、思った以上に嬉しかった
    1. ■ 短いやりとりの中にある“つながり”の実感
    2. ■ 会話が続くこと=「関係が生まれた」感覚
    3. ■ 「会話が続かない」のが当たり前だったからこそ
    4. ■ 「話す内容」より、「やりとりがあること」の価値
    5. ■ つながりがあると、外に出る気持ちもわいてくる
  4. 【図解】50代で孤独を感じた理由とSNSで変わった気持ち
    1. ■ なぜ、50代で“孤独”を感じるようになるのか?
      1. 【図1】50代が孤独を感じた主な理由(複数回答)
    2. ■ SNSを使い始めて、何が変わったのか?
      1. 【図2】SNS利用後に感じたポジティブな変化(複数回答)
    3. ■ 「リアルよりSNSのほうが話せた」現象
    4. ■ ポイントは“共通点”と“やさしさ”
    5. ■ 孤独を解消するのは、「つながり」ではなく「やりとり」
  5. 今、誰かとつながることで毎日が変わっていく

「孤独じゃないけど、どこか満たされない」日々

50代を過ぎても、人とのつながりがまったくないわけではありません。
家族もいるし、職場での会話もある。ときには昔の友人と電話をすることもある。
——それでも、なぜか心のどこかが“ぽっかり”している感覚を抱えていました。

「孤独ではないのに、なぜこんなに満たされないのだろう?」

これは、私がSNSを始める以前にずっと感じていた“正体の見えない寂しさ”です。


■ 家族とは会話が減り、友人とは予定が合わない

私は都内在住の50代男性。
子どもは独立し、妻とはそれなりに穏やかな関係を保っているつもりでした。
けれども、夕食時の会話は「今日のニュース」と「お風呂どっち先?」程度。
用件の伝達こそあれ、心から話すことはいつの間にか減っていました。

職場では、定年が近いこともあり、少しずつ“戦力外”という雰囲気。
若手社員と世代も話題も違い、仕事以外で声をかけることもなくなりました。
昔は仲の良かった友人たちとも、互いの生活リズムが変わるにつれ、
「そのうちまた飲もう」で終わるLINEが何通も未読のまま溜まっていきました。


■ 「孤独」とは違う、説明しづらい空白

誰とも話さないわけではない。
けれど、「本音」や「雑談」を交わすことは、まるで日常から消えていました。

誰かの前では“いい大人”でいなくちゃいけない気がして、
弱音や愚痴もこぼせず、気づけば“感情”ごと口を閉ざしていたのです。

自分を押し込めるような生活に、心の元気がどんどん削がれていくようでした。
孤独というほど深刻ではない。でも、どこかずっと物足りない。
笑っているけど、笑顔が心まで届いていない——そんな毎日。


■ 話したいことがないのではなく、「話す相手」がいなかった

ふとしたときに思い出す、昔の旅の話。
何気なく撮った空の写真に感じた季節のうつろい。
ふと頭をよぎった不安、誰かの一言に救われた気持ち——

本当は、話したいことがなかったわけじゃない。
ただ、それを“話せる誰か”がいなかっただけなんです。

相手に気をつかってしまうのでは、と心配してやめてしまう。
わざわざ話すことでもないと自分に言い聞かせて飲み込む。
——その繰り返しで、「言葉を発すること」自体から遠ざかっていきました。


■ 「誰かと話す」ことは特別じゃない。でも、確かに必要だった

私は大きな悩みがあったわけでもなく、
友達ゼロというわけでもなかった。
けれど、日々の中で“話しかけられない存在”になっていくような感覚がありました。

そんなとき、スマホの通知に偶然目がとまりました。
「50代・60代も使いやすいSNSアプリ」——
普段ならスルーする広告でしたが、その日はなぜか、引き込まれるように見てしまったのです。

「こんな自分でも、話していいんだろうか」
「誰かが、ちゃんと返事をくれるのだろうか」

そんな不安を抱きながらも、私はそっとそのアプリをダウンロードしました。

——その選択が、日々の空白を少しずつ埋めていくことになるとは、
当時の私はまだ知りませんでした。


誰かとつながりたくて、スマホを開いた

ある日の夕方、妻はパートで帰りが遅く、家の中はしんと静まりかえっていました。
テレビをつけても、どこか騒がしさだけが響いて、心には入ってこない。
コーヒーを淹れて、読みかけの雑誌を開いたものの、ページをめくる手が止まる。
——そんなときでした。
スマホに目を向けると、通知欄に小さなバナーが浮かんでいました。

「同世代と気軽に話せる、安心SNS」

何気ないその文言が、なぜかその日は心にひっかかりました。
「誰かと話してみたい」——そう思って、指が自然と動いていたのです。


■ ダウンロードの先にあったのは、「最初の一歩の壁」

アプリはシンプルなつくりでした。
年齢や性別を登録するだけで、すぐに使えるようになっていました。
けれど、初めて開いたSNSの画面に、私はしばらく指を止めてしまいました。

投稿欄の下にある「今なにしてる?」の文字。
——何を書けばいいのだろう?
——そもそも、自分の言葉なんて誰かに見てもらえるのか?

頭の中では言葉が渋滞して、何も書けずに画面を閉じかけたとき、
ふと視界に入ったのは、ある利用者の投稿でした。

「今日は庭のバラがきれいに咲きました。写真はピンぼけだけど、お気に入り。」

写真には、ピンク色のバラが一輪、陽を浴びて映っていました。
完璧でも特別でもない。でも、その投稿からは確かに“あたたかさ”が伝わってきたのです。

「これでいいんだ」
「こんなふうに、日々のことを書いてもいいんだ」

少し勇気がわいて、私は投稿欄に短く入力しました。

「今日は夕方の空がきれいでした。静かな時間が心地よかったです。」

投稿ボタンを押す手が少し震えたのを、今でも覚えています。


■ 「誰かが見てくれた」それだけで心が軽くなった

投稿してから30分ほど経った頃。
スマホが小さく振動しました。
アプリを開くと、「●●さんがあなたの投稿に反応しました」という通知が。

見知らぬ人のアイコンとともに、「夕暮れって、なんだか落ち着きますよね」という返信。
その瞬間、胸の奥にすっと風が吹き抜けたような、不思議な解放感を覚えました。

「ちゃんと、届いた」
「自分の言葉に、反応してくれる人がいる」

たったそれだけのことなのに、何日も感じられなかった“存在感”が、そこにありました。


■ 同世代だからこそ、わかってくれる感覚

その後も、私は少しずつ投稿を続けました。
今日食べたランチのこと。
テレビで見た旅番組の感想。
昔行った温泉地の思い出話。

すると驚いたことに、「私もそこ行ったことあります!」「あの温泉、まだあるんですね」
——そんなふうに返信をくれる方が、少しずつ増えてきました。

共通の時代を生きてきた人だからこそ、話題が合う。
昔懐かしい話に「そうそう!」と反応が返ってくる。
それが、思っていた以上に嬉しいことだったのです。


■ つながりは「会わない距離感」だからこそ心地よい

もちろん、リアルの友人のように深く長く付き合うわけではありません。
でも、SNSのつながりには、適度な“距離感”がありました。

・返信を急がなくていい
・会わなくても会話ができる
・名前や顔を知らなくても、話ができる

この「ゆるやかだけど確かな関係」が、50代の私にはぴったりだったのです。

気づけば、朝食後にスマホを開いて「今日はみんな何してるんだろう」と眺めるのが日課になっていました。
とくに何か書かなくても、誰かの日常に触れることで、自分も少し満たされる。
そんな小さな時間が、毎日を少しずつ豊かに変えていきました。


【実体験】会話が“続く”ことが、思った以上に嬉しかった

初めてSNSに投稿して、誰かからコメントがもらえた。
その嬉しさは、想像していた以上に大きなものでした。

でも、もっと驚いたのはその“あと”のことです。
——投稿に返事が来るだけじゃなかった。
それに対して自分も返して、相手からまた返ってくる。
そんな「会話が続く」ことが、思った以上に心に響いたのです。


■ 短いやりとりの中にある“つながり”の実感

たとえば、ある日こんな投稿をしました。

「今日は久しぶりに散歩に出ました。近所の公園で小学生の声が聞こえて、春が来たなと思いました。」

そこに、見知らぬユーザーからこんなコメントが付きました。

「うちの近くも子どもたちの声が戻ってきました。なんだか元気をもらえますよね。」

私は、なんとなく嬉しくなって、「本当にそうですね。昔は気にもとめなかったのに、最近は声があるだけで安心します」と返信しました。

すると、またすぐに返事がきました。

「わかります!私も年をとったのか、何気ない音がしみるようになって(笑)」

——なんてことない会話です。
でも、このやりとりは、気がつけば4往復以上続いていました。

名前も知らない、顔も知らない相手と、
同じような感覚を共有して、言葉を交わせたこと。
それが“つながり”として、しっかり自分の中に残ったのです。


■ 会話が続くこと=「関係が生まれた」感覚

若い頃のSNSというと、どうしても即レスが必要だったり、いいねの数が競争のようになったり、
「気疲れしそうだな」という印象がありました。

でも、私が使い始めたシニア向けのSNSは違っていました。

・相手が急がない
・返信の文章が丁寧
・「共感」を重ねる形でやりとりが続く

この「穏やかな流れ」が、本当に心地よかったんです。

日常の何気ない話でも、「わかります」と返してくれる。
自分が相手に返信しても、数時間後や翌日にはまたひと言が返ってくる。
それが続いていく。

——まるで昔の文通のように、時間をかけた会話ができる。

SNSなのに、せかされる感じがまったくない。
だから、返す言葉も丁寧になるし、自然と“人を大切にするやりとり”になる。

この経験は、リアルな人付き合いで少し疲れていた自分には、想像以上に癒しとなりました。


■ 「会話が続かない」のが当たり前だったからこそ

よく考えれば、リアルの世界では、
“会話が続かない”のが当たり前になっていたことに気づきました。

・職場を離れてから、人と話す機会が減った
・近所づきあいも最低限
・家族とは、話しても用件ばかり

昔はよく話していたはずの妻とも、
「今日ごはんどうする?」「洗濯しといたよ」
——そんな会話ばかりになっていたんです。

だからこそ、SNSで生まれた“会話の連続性”が、自分の心を少しずつ満たしていきました。


■ 「話す内容」より、「やりとりがあること」の価値

この経験から学んだことがあります。
それは、会話に大切なのは“内容の深さ”だけじゃないということ。

・話が続く
・反応が返ってくる
・誰かが待ってくれている

そのこと自体が、心にあたたかさを与えてくれるんだということです。

たとえば、テレビの話でも、天気の話でもいい。
「そうだよね」「私もそう思う」と返ってくるだけで、
「自分の存在が受け入れられている」と感じることができました。


■ つながりがあると、外に出る気持ちもわいてくる

さらに不思議なことに、SNSで会話が続くようになってから、
リアルな行動にも変化が出てきました。

・散歩に行って写真を撮ってみよう
・少しだけ遠回りして新しい店を見てみよう
・いつか、SNSでつながった人と会ってみるのもいいかも

“話題を持ちたくなる”というのは、誰かとのつながりがあるから生まれる気持ちです。
ただ黙って過ごす日々から、「何か話したくなる日々」へ——。
その変化は、小さいけれどとても大きなものでした。


【図解】50代で孤独を感じた理由とSNSで変わった気持ち

人とのつながりが多そうに見える50代ですが、実際には「孤独」を感じる人が少なくありません。
なぜなら、50代は“人と関わる機会が減っていく”節目の年代でもあるからです。

ここでは、寄せられた体験とあわせて、調査データをもとに「なぜ孤独を感じやすいのか」、そして「SNSがその気持ちにどう変化をもたらしたのか」をグラフで見ていきます。


■ なぜ、50代で“孤独”を感じるようになるのか?

以下のグラフは、アンケートで「最近、孤独を感じた理由」を尋ねた結果です(複数回答):

【図1】50代が孤独を感じた主な理由(複数回答)

孤独の理由割合
家族と会話が減った64%
仕事以外の人間関係が少ない57%
友人関係が自然と減っていった51%
話せる相手が思い浮かばない46%
毎日が同じことの繰り返しに感じる42%

このように、孤独の背景には「家庭」「職場」「交友関係」といった複数の領域での“会話の減少”が関係していることがわかります。
特に「家族との会話が減った」「友人が減っていった」という声は、筆者の実感とも一致しています。


■ SNSを使い始めて、何が変わったのか?

次に、同じ対象者がSNSを使い始めたあとに「気持ちにどんな変化があったか」を尋ねた結果が以下です。

【図2】SNS利用後に感じたポジティブな変化(複数回答)

変化の内容割合
「今日あったことを話したくなった」60%
「誰かとつながっている」と感じるようになった55%
自分の投稿に反応があると嬉しくなった52%
新しい会話のきっかけが生まれた44%
気持ちが前向きになった38%

この結果から見えるのは、
SNSが“聞いてくれる人”を感じさせることで、「話したい」という気持ちを引き出しているということ。

これは、会話そのものが減っていた50代にとって、非常に大きな心の変化といえます。


■ 「リアルよりSNSのほうが話せた」現象

筆者自身も、リアルでは気を使ってしまって言えなかったことを、SNSでは自然と投稿できたという経験があります。

たとえば:

  • 昔の趣味の話
  • 最近観た映画の感想
  • 小さな体調の変化や気持ちの揺れ

こうしたことを文字にして投稿すると、「自分もそれ、あります」「わかります」といった反応がもらえた。

誰かに言いたいけど、誰に言えばいいかわからなかったこと。
そんな“心の余白”に、SNSという場がそっと入ってきてくれたような感覚でした。


■ ポイントは“共通点”と“やさしさ”

多くのSNSの中でも、50代・60代向けの交流アプリでは、「共通点からの会話」が生まれやすい設計になっていました。

・年代が近いから、昔の話が通じる
・写真の投稿から話題が広がる
・短文でも気軽に返せる

特に、同じような人生経験を持つ人同士だからこそ、「わかってくれる」安心感がありました。

さらに特徴的だったのが、「やさしい言葉」でやりとりされること。
リアルよりも傷つけられることが少なく、むしろ“心がやわらぐ会話”が多いのです。


■ 孤独を解消するのは、「つながり」ではなく「やりとり」

孤独を感じたとき、人はつい「仲間を作らなきゃ」と思ってしまいます。
でも実際には、無理に深いつながりを求めるよりも、**日々の小さな“やりとり”**があるだけで心は軽くなります。

・誰かが見てくれている
・言葉が返ってくる
・自分の存在が感じられる

そんな“やさしい循環”が、SNSを通して少しずつ築かれていくのです。


今、誰かとつながることで毎日が変わっていく

「たった一言のやりとりでも、誰かと話せると気持ちが変わるんですね」

これは、SNSを使いはじめた50代の方の言葉です。
家族とも昔の友人とも話す機会が減って、「誰かと話したい」と思っても、いざ電話をするのは気が重い…。そんなとき、スマホの中にある“ちょっとした会話の場”が、心を軽くしてくれました。

実は、同じような気持ちを抱えている人は少なくありません。

「ひとりじゃないけど、どこか満たされない」
「特別なことはないけど、誰かに聞いてほしい」

そんな思いは、日常の中に静かに積もっていくものです。

SNSでのつながりは、そんな日々に“少しだけ違う景色”をくれます。
たとえば今日の空の写真を投稿するだけでも、「きれいですね」「私も見ましたよ」と言ってくれる人がいる。そのやりとりが、ちょっとした嬉しさになります。

そして今は、顔出しや本名登録がいらないSNSも多く、自分のペースで使えるのが特長です。
同年代の人や、同じ趣味の人と話せる場所があることで、はじめてでも安心して使える工夫がされています。

「話せる誰かがいる」と思えるだけで、日々の気持ちは大きく変わっていきます。
自分を大きく変えなくても、スマホの中に“会話の居場所”を持つことで、気づけば毎日が少しずつ明るくなるのです。

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