趣味を再発見した60代男性が語る“話せる場”の価値
「趣味があったはずなのに…」定年後に感じた“ぽっかり”
――60代・男性・元営業職・定年退職後3年
「忙しい毎日の中で、ずっと『引退したら時間ができるし、あの趣味をまた始めよう』と思っていました。けれど、いざ時間ができると――想像とは違いました。」
昔は夢中だった趣味。でも、再開しても満たされなかった
若いころ、カメラが好きでした。
一眼レフを買っては風景を撮りに出かけたり、現像した写真を仲間内で見せ合ったり。
結婚して子どもができ、仕事が忙しくなるにつれ、カメラはしまい込まれていきました。
「定年したらまたやればいい」
そう思っていました。でも――
いざ時間ができて、改めてカメラを持ち出してみると、
確かに風景はきれいだし、撮るのも楽しい。だけど、どこか物足りなさを感じていました。
誰かと「語る」場がないと、趣味が孤立してしまう
その理由に気づいたのは、ある休日の午後でした。
良い写真が撮れて、「これは気に入った」と思ったのに――
見せる相手がいないのです。
妻は興味がなさそう、友人とは疎遠、子どもたちは忙しい。
そう、「語る相手がいない」ことが、あんなにも“ぽっかり”とした寂しさを生むなんて、思ってもいませんでした。
自分では趣味を再開したつもりでも、会話のない趣味は“ひとりごと”に近かったのです。
退職後は「報告する場」も「共感される場」もなくなる
会社員時代は、日々いろんな話をする場所がありました。
- 「週末にこんな写真撮ったよ」と話せる相手がいた
- 「お、いいね!」と軽く返してくれる同僚がいた
- 話題にしなくても、趣味の話ができる“空気”があった
それが定年と同時に、すっぽり消えました。
趣味の再開は、会話の消失を補ってはくれませんでした。
趣味そのものの問題ではなく、“誰かと共有する場”の不在――
それこそが、ぽっかり空いた穴の正体だったのだと思います。
「話せる場所」を探すことが、思っていた以上に大事だった
このとき私は初めて、「語ることの場」の重要性に気づきました。
趣味は好き。でも、その感動や気づきを言葉にできる相手がいるだけで、満足度がまるで違う。
たとえば、たった一言でも誰かに:
- 「いい写真ですね」
- 「これはどこで撮ったんですか?」
- 「私もこういう風景、好きです」
そう言われたら、「また撮りたいな」と思える。
ただの“ひとりの時間”が、“誰かとのつながり”に変わっていくんです。
スマホを使って“語れる場”を探してみたら
――60代・男性・元営業職
「スマホは電話と天気くらいしか使ってなかった。でも、“見るだけ”ならできるかもと思ったんです。そこから、思わぬ出会いが始まりました。」
SNSは「自分には関係ない」と思っていた
正直なところ、SNSという言葉には距離を感じていました。
- 若い人たちが使うもの
- 難しそう、使いこなせない
- 失敗したら怖い、変な人がいたら困る
そんな不安が先に立って、これまで手を出してこなかったのです。
でもある日、テレビで「シニア世代の交流にSNS活用」と紹介されているのを観ました。
「見るだけなら、いいかもしれない」
そんな気持ちで、スマホにアプリを入れてみることにしたのです。
最初は“観るだけ”…でも、同じ趣味の投稿に惹かれた
登録も、プロフィールの入力も最低限。
“誰とも関わらず、自分のペースで”が基本でした。
それでも、カメラや旅行の投稿がタイムラインに流れてくると、
「お、これはいい構図だな」「あの場所、昔行ったなあ」など、
気づけば画面に見入っている自分がいました。
そしてあるとき、何気なく「いいね」を押したんです。
思いがけず「反応が返ってきた」
「いいね」なんて押しても、相手には届かないと思っていた。
でも、数分後に「ありがとうございます」と返信がきたのです。
その一言が、こんなにうれしいなんて思ってもみませんでした。
まるで誰かと散歩の途中で偶然会って、軽く会釈したような――
そんな小さなやりとりが、胸の奥にじんわり残る感覚。
これは“話す”というより、“通じ合う”感覚に近かったのかもしれません。
はじめて自分の写真を投稿してみた
その数日後、勇気を出して、何年ぶりかの自信作を1枚投稿しました。
コメントはつかなくてもいい。反応がなくてもいい。
ただ、自分の“好き”を、どこかに出してみたかったのです。
すると、知らない誰かが「素敵な空ですね」とコメントをくれました。
たった一言でしたが、「ちゃんと誰かが見てくれた」と思えて、
次の週も、また投稿してみようと思えました。
誰かと「語れる」感覚が、日常を変えた
毎日投稿するわけではありません。
たまに気が向いたときに載せて、数件のリアクションが返ってくる。
それだけで、「誰かとつながっている」実感が生まれました。
- 写真へのコメントから話が広がる
- 同じ被写体を撮っていた人とやりとりが続く
- 作品を通して、少しずつ関係ができていく
SNSを始める前は、“ただのツール”だと思っていました。
でも今では、趣味を「語れる」場所として、なくてはならない存在になっています。
会話が続く“安心な場”には共通の特徴があった
――60代・男性
「今思えば、あの場には“会話が続く理由”がちゃんとありました。ただ気が合っただけじゃなく、安心して言葉を交わせる“しくみ”があったんです。」
距離感がちょうどいい「ゆるやかな交流」
私が最初に投稿を始めたSNSには、押しつけがましい感じがありませんでした。
- コメントをしてもしなくてもいい
- 無理にリアクションを求められない
- メッセージの返信も、気が向いたときで大丈夫
そんな**“ゆるさ”が、息苦しさを感じさせなかった**のです。
リアルの会話では、相手の表情やタイミングに気を使うこともあります。
でもSNSでは、「自分のペースで関われること」が、続けやすさに直結していました。
「評価されない」からこそ出せる本音
趣味の投稿をするとき、「上手く撮れているだろうか」「人の目が気になる」と思ってしまう人も少なくありません。
でも、私が使っていた場所では:
- 「すごいですね」よりも「好きです」「いいですね」という反応が多かった
- 他の人の投稿にも、完成度より“気持ち”が込められていた
- テクニックを競うより、「共感」や「感じたこと」のシェアが中心
この雰囲気が、**“評価される場”ではなく、“気持ちを共有できる場”**だと感じさせてくれたのです。
私のようにブランクのある人でも、**「また出してみようかな」**と思えるやさしさがありました。
同世代だから「言葉の選び方」が伝わる
SNSの世界には、若い人向けの略語やテンポの速い会話も多いと聞きます。
ですが、私が投稿していたコミュニティは中高年中心。
そのため、会話のテンポや言葉の選び方が合っていたのです。
たとえば:
- 「お写真、いつも楽しみにしています」
- 「この景色、昭和の頃を思い出しました」
- 「私も最近また始めてみたんです」
こういった世代ならではの表現が飛び交い、会話が自然に続いていきました。
相手に言葉を合わせようと無理をする必要もなく、“通じる”という感覚が心地よかったのです。
“押しつけない・見守る・ほどよい距離”が安心感の正体だった
振り返ってみると、あのSNSが心地よかった理由は、次のような特徴に集約できます:
特徴 | 内容 |
---|---|
押しつけがない | 強制的なやりとりや通知がなく、自分のタイミングで関われる |
評価されにくい | 投稿の上手下手より「気持ち」を大事にする文化 |
距離感がちょうどいい | 共感はあるが、干渉しすぎない安心感 |
この3つがあったからこそ、「続けたい」と思えたのだと思います。
“語れる場”に必要な3つの条件とは?
「SNSを始めても続かない」「言葉にしようとしても緊張してしまう」――
そんな声が中高年の方から多く聞かれます。
では、安心して会話が続く“語れる場”には、どんな共通点があるのか?
これまでの体験を通じて、特に大事だと感じた3つの条件を以下に整理しました。
“語れる場”に必要な3つの条件
🎯 語れる場の安心設計 〜会話が続く3つの条件〜
条件 | 説明 | 例 |
---|---|---|
① 自分のペースで関われる | 通知や返信の義務がなく、強制感がない | 「気が向いたときに投稿」でも大丈夫 |
② 評価されにくい文化 | いいね数よりも“感想”や“共感”が重視される | 「すてきですね」「懐かしいです」などの温かな反応 |
③ 同世代が多い | 言葉のテンポや話題が自然に合う | 「昔はこうだったね」「あの頃の音楽」などの会話がしやすい |
この3つの条件がそろったSNSやアプリでは、最初は見ているだけだった人も、やがて自然に投稿や会話に参加するようになる傾向があります。
安心な“場”は、「発信」よりも「共有」が軸になる
中高年にとってSNSが続く理由は、「発信欲」ではなく、気持ちを共有できる環境があるかどうかに尽きます。
- 発言しなくても“共感”の空気がある
- 共通の話題(趣味や思い出)が多い
- 目立たなくても存在を認められる
そんな空間こそが、“語れる場”の本質なのです。
「趣味がある」だけでは生まれなかったつながり
――60代・男性
「昔から趣味はあったんです。でも、それを“誰かと語る”ことで、初めて自分の中でも深まっていった気がします。」
一人で楽しんでいた頃の“静けさ”と“物足りなさ”
私は長年、写真を趣味にしてきました。
定年後、時間ができてからはカメラ片手に散歩へ出かける機会も増え、
撮りためた作品はパソコン内にたくさん残っていました。
でも――
**「誰にも見せない」「話す機会がない」という状況が続くと、
どこか、“満たされなさ”**を感じるようになったのです。
「いい写真が撮れたな」と思っても、それを語る相手がいない。
共感や感想が返ってこない。
そんな状態では、趣味も次第に“孤独な時間”へと変わっていきました。
「誰かに見せる」ことで生まれた会話
ある日、SNSに1枚の写真を投稿してみました。
たったそれだけの行動でしたが、反応が返ってくる体験が、自分の中で何かを変えたのです。
- 「この空の色、すごくきれいですね」
- 「私も最近、同じような写真を撮りました」
- 「この場所、昔住んでた近くかもしれません」
…そんなコメントの数々。
どれも、作品そのものへの評価というより、その場の空気を共有してくれるような言葉でした。
この時、「写真を撮るだけでは完結しなかった“つながり”がある」と気づいたのです。
趣味が“共感のきっかけ”になるという発見
写真という趣味そのものに変化があったわけではありません。
でも、「誰かに言葉をもらう」「感想を返す」という会話があることで、
作品に新たな意味が加わっていくように感じました。
- 誰かの目を通して、自分の写真を再発見する
- 同じ趣味でも視点が違うことが刺激になる
- 共通点があるから、違いを面白く感じられる
これまで“自己完結型”だった趣味が、“対話型”に進化したのです。
会話があったから、続けられた
正直、孤独な趣味は飽きやすいと思います。
誰にも見せず、話さず、賞賛もされず。
自分の内側だけで完結する世界には、限界があります。
でも今は、**「誰かが見てくれる」「話ができる」**という環境がある。
それだけで、次の一枚を撮りに出かける意欲が湧いてきます。
趣味を続けるために必要なのは、才能や根気だけではありません。
“話せる誰か”の存在こそが、継続の力になっているのです。
“話せる趣味”こそ、これからのつながり方
SNSを通じて、私は「趣味があるだけでは足りない」ことに気づきました。
本当に満たされるのは、その趣味について“語り合える誰か”がいるときです。
- 上手い下手は関係なく
- 話したいタイミングで言葉をかけあえる
- 一緒に盛り上がることができる
そんな“語れる場”があるからこそ、趣味はもっと面白くなる。
そしてその会話の中に、新しい自分との出会いや、人とのつながりの温度があるのだと思います。
自分の“好き”を言葉にすることの意味
――60代・男性
「“好き”を言葉にしてみたら、不思議と気持ちが整理されて、自分自身のことも少しわかった気がしました。」
好きなのに、うまく言葉にできなかった
私は写真を長く趣味としてきたのに、
「なぜ好きなのか?」と問われると、いつも答えに詰まっていました。
- 景色を残したいから?
- 自分だけの視点がほしいから?
- 撮っていて気持ちが落ち着くから?
どれも本当のようで、本当ではない。
漠然と「なんとなく好き」だったものが、明確に言葉にならないもどかしさがあったのです。
でも、SNSで投稿するようになって――
“誰かに伝える”ために自分の「好き」と向き合う機会が生まれました。
「語る」ことは、「自分を知る」ことにつながる
写真をアップするときに、「この写真はどこが気に入っているのか」「なぜこの瞬間を撮ったのか」を少しずつ書くようになりました。
すると、不思議なことに――
自分の“感覚”が“言葉”として形になっていくようになったのです。
- 「この構図に惹かれるのは、静けさが伝わるから」
- 「この光の入り方が、懐かしさを感じさせてくれるから」
そんなふうに書くたび、
「なるほど、自分はこういうものに心を動かされているんだな」
と内面が整理されていく感覚がありました。
共感をもらえると、“好き”に自信が持てるようになった
ある日、「この色合いが素敵ですね」とコメントをもらったとき、
なぜかとても嬉しくて、胸の中にぽっと明かりが灯るような気持ちになりました。
「この写真の良さを誰かがわかってくれた」
そんな体験は、自分の“好き”が他人にも届いた瞬間でした。
それ以来、自信を持って「これは自分が好きなものです」と言えるようになったのです。
たとえ誰かに評価されなくても、自分自身でその「好き」に誇りが持てるようになったことは、大きな変化でした。
“好き”を語れる相手がいることの意味
趣味の話を共有できる場があると、
そこにはただの情報交換だけでなく、心のやりとりが生まれます。
- 同じものが好きな人と語り合う喜び
- 違う視点からの感想にハッとする発見
- 自分の中にあった気持ちが、言葉になって届く体験
それらすべてが、「話せる場」にしかない価値だと感じています。
ただの写真のアップロードで終わらず、“言葉”が加わることでつながりが生まれるのです。
“好き”は、つながりの起点になる
今では、誰かの投稿を見て「それ、私も好きです」とコメントするのが日課です。
ときには、「そういう見方があるんですね」と言ってもらえることもあります。
- 好きだから言葉にする
- 言葉にするから、伝わる
- 伝わるから、つながる
そんな風に、「好き」を言葉にすることが、つながりの始まりになるのだと実感しています。
これからSNSを始める同世代の方へ伝えたいこと
――60代・男性
「最初は『自分には関係ない世界だ』と思っていました。でも今では、“話せる誰かがいる”という安心感が日常の中にあります。」
スマホもSNSも「苦手」で当然だった
私がSNSを始めたのは、65歳を過ぎてから。
きっかけは、趣味の写真を「誰かに見せてみたい」と思ったことでした。
けれど最初は不安ばかりでした。
- 操作方法がわからない
- 個人情報が流出しないか心配
- 若い人ばかりで居場所がない気がする
そんな気持ちが積み重なって、「自分には無理だ」と思っていたのです。
でも実際に一歩踏み出してみると――
“思ったよりもやさしい場所”が広がっていたことに気づきました。
自分のペースで、見ているだけでもいい
SNSというと、「発信しなければ」「毎日投稿しないと」と思われがちですが、
私にとっては、“誰かの投稿をただ見る”だけでも十分な価値がありました。
- 「この人も、こんな風に写真を撮ってるんだ」
- 「昔聴いていた音楽を話題にしてる人がいる」
- 「この感想、わかるなぁ…」と共感できる瞬間がある
そのうち、少しずつ「自分も何か言ってみようかな」と思えるようになりました。
無理をしなくていい、義務にならない。
その安心感が、続けられる理由になったのだと思います。
“人とつながる”ことは、特別じゃなくて自然なこと
若い頃と違って、今の自分には“人間関係を増やす”ことよりも、
「気持ちを共有できる小さな場」があることの方が大切です。
- 話したいときに話せる
- 話せないときは無理に参加しなくていい
- でも、そこに行けば誰かがいる
そんな場所が、SNSにはありました。
これは“趣味”という入り口があったからこそ、見つけられたつながりだったと思います。
SNSは「一人の時間」に光を灯すツールになる
定年後、家にいる時間が長くなったとき、
「誰とも話さない一日」が続くと、やはり気持ちが沈みがちになります。
でも、SNSには――
- 今日の作品を見てくれる誰かがいる
- 昔の思い出を分かち合える人がいる
- 同じ世代が、同じように過ごしている
そんな小さなつながりが、いつでもそこにあるのです。
これは、一人きりの時間に“温度”を加えてくれるような感覚でした。
だからこそ、まず「見る」ことから始めてみてほしい
最後に、これからSNSを始めようか迷っている同世代の方に伝えたいのは、
**「投稿しなくていい」「誰かをフォローしなくてもいい」**ということです。
まずは、趣味で検索してみてください。
好きだった音楽、旅先、昔の風景写真――
きっとそこには、あなたと同じものに心を動かされた誰かがいます。
そして、「この人の投稿、ちょっといいな」と思えたら、
それがつながりの最初の一歩です。
おわりに:つながりに遅すぎることはない
「SNSなんて自分には関係ない」と思っていた私が、
今こうして“語れる誰か”と出会えているのは、
ほんの少し勇気を出して、「見てみよう」と思ったからです。
誰とも話さず過ごす日もある。
でも、話せる日があるだけで、心は変わる。
これを読んでくださった方が、
ご自身の“好き”をもう一度思い出し、
誰かと共有できる喜びに出会えることを願っています。