同居介護でふさぎ込んでいた私がSNSで知った“話せる自由”
介護が始まってから「自分の感情」に蓋をしていた
60代女性・田村紀子さん(仮名)にお話を聞きました。
親との同居介護が突然始まった日常
― 田村さん、まずは介護が始まった当時の状況について教えていただけますか?
「はい。父を亡くして間もなく、認知症が進み始めた母と同居することになったんです。もともと私は一人暮らしで自由に暮らしていたので、生活が一変しました。」
― かなり急な変化だったのですね。
「そうですね。母が一人で過ごすのは危険だと兄たちから言われて。母のためには当然の選択だと思っていましたが、私自身の準備は正直、できていなかったと思います。」
感情を出すのは“わがまま”だと思っていた
― そこから同居介護が始まって、生活にどんな変化がありましたか?
「毎日が“母中心”の生活になりました。朝起きる時間も、食事の時間も、外出の予定も、全部母に合わせる。最初のうちは『親孝行』のつもりで頑張っていたんです。でも…自分の気持ちを出すことがどんどん難しくなっていきました。」
― 難しくなった、というのは?
「“つらい”と思っても、そんなふうに感じる自分が“ひどい娘”のような気がして…。泣きたくても、我慢して笑うようにしていました。友人に会っても、楽しいふりをするのが精一杯で。」
― そうやって、感情を抑えるのが日常になっていったのですね。
「はい。“私が我慢すればいい”って、思い込んでいました。母の世話をすることと、自分の気持ちを出すことが“両立できない”ような気がしていたんです。」
誰にも話せないまま、孤立していった日々
― 感情を出せない状態が続くと、心も疲れてしまいますよね。
「ええ…。誰にも話せず、泣くことすら許されないような気持ちでした。“私よりもっと大変な人もいる”って、そうやって自分を押し込めて。」
― 周囲の理解は得られていましたか?
「兄たちは遠くに住んでいて、“ありがとう、助かるよ”と言ってはくれましたが、実際に介護をしているのは私ひとり。気持ちの共有なんてできるわけもなく…。誰かに『つらい』って言ったら、責められる気がして言えなかったんです。」
― それはとても孤独な状態だったのでは。
「本当に…。毎日同じ繰り返しで、ただ“母のお世話係”として過ぎていく日々。気づけば、自分が何のために生きているのか分からなくなっていました。何かを楽しむことも、笑うことも、すっかり忘れてしまっていて。」
SNSで見つけたのは「ただ話せる場所」だった
最初は見るだけだった“誰かの介護の話”
― そんな中、田村さんがSNSと出会ったきっかけは何だったのでしょう?
「ある日、検索で“介護 つらい”って入れたんです。誰かが同じような思いをしていないか、それが知りたくて。」
― そこから、SNSを覗くようになったと。
「はい。最初は投稿なんてとてもできなくて、ただ“見るだけ”でした。でも、たくさんの人が、まるで私みたいな気持ちを正直に書いていたんです。『つらかった』『怒鳴ってしまって後悔している』とか…。それを読んでいるうちに、心がふわっとゆるむ感覚がありました。」
― 誰かが言葉にしてくれている、という安心感ですね。
「そうなんです。“これ、私が感じてたことと同じだ…”って。気づけば、毎晩寝る前に、いろんな人の投稿を読むのが習慣になっていました。」
「わかります」に、涙がこぼれた夜
― それでも、自分が書き込むまでは少し時間がかかったんですね。
「ええ…。でもある日、どうしようもなくしんどかった日に、思わず短く書いたんです。“今日はちょっと疲れました”って。」
― 反応はありましたか?
「何人かの方が“わかります”“おつかれさまです”って返信をくれて…。その“わかります”って一言に、涙が出てしまって。」
― 「わかってもらえた」と感じた瞬間だったのですね。
「はい。家族にも言えなかった思いを、誰かが否定せずに受け止めてくれた。その夜は、久しぶりにぐっすり眠れた気がします。」
少しずつ、気持ちを言葉にできるように
― そこから、徐々にSNSの使い方にも変化があったのですか?
「ええ。最初は短いつぶやきだけでしたが、少しずつ“今日は母に優しくできなかった”“こういうとき、どうしてますか?”といった投稿もできるようになりました。」
― 他の方とのやりとりも?
「はい。同じような状況の方が“うちもそうですよ”って返してくださったり、時には笑い話も交えながら話せるようになって…。なんというか、“安心して気持ちを出せる場所”があるというだけで、日々の気持ちの持ちようがまったく違ってきたんです。」
― 介護そのものは変わらなくても、気持ちの抱え方が変わっていったんですね。
「そうですね。“自分だけじゃない”って感じられるだけで、こんなに救われるんだ…と、あの頃の自分に教えてあげたいです。」
「心の余白」ができたことで見えてきたもの
愚痴でも弱音でも、聞いてもらえる安心感
― SNSで話すようになって、田村さんの気持ちにどんな変化があったのでしょうか?
「大きかったのは、“どんな気持ちでも出していいんだ”と思えたことです。愚痴や弱音って、これまで誰にも言えなかったから、自分の中でどんどん膨らんでしまってたんですよね。」
― 吐き出せる場所があるというのは、大きな支えになりますよね。
「はい。“つらい”って言ったら甘えてると思われるかも…とか、“わがまま”だと思われるかもって、いつも躊躇してたんです。でもSNSの中では、“その気持ち、すごくわかります”って受け止めてくれる人がいて。“言ってもいいんだ”って思えるようになりました。」
― それが「心の余白」を取り戻すきっかけに?
「そうですね。誰かに聞いてもらえるって、気持ちの中に“空間”ができる感じなんです。ふっと息ができる場所が、毎日の中にできました。」
話すことで“自分の境界線”がわかってきた
― 田村さんは、その後もSNSでの交流を続けているんですか?
「はい。毎日ではないですけど、誰かの投稿を読んだり、自分の気持ちを時々書いたり。そうしてるうちに、自分の中の“線引き”が少しずつわかってきた気がします。」
― 線引き、ですか?
「介護って、つい“全部自分がやらなきゃ”って思い込んでしまいがちですよね。でも、“今日はちょっと無理”って感じる気持ちも大切にしていいって、他の人の話から学んだんです。」
― SNSでのやりとりが、自分を守るヒントになったのですね。
「はい。“自分が壊れたら意味がない”って、ようやく思えるようになりました。以前は“それでも頑張らなきゃ”って気持ちに押しつぶされていたので…。」
「介護に正解はない」と思えるようになった
― SNSで多くの声に触れてきた田村さんですが、何か印象的な気づきはありましたか?
「“介護に正解はない”という言葉が、何人もの方の投稿にあって。最初はあまりピンとこなかったんですが、自分の経験と重ねていくうちに、腑に落ちたんです。」
― どんな形でも“その人らしいやり方”がある、ということですね。
「そうなんです。誰かの真似をする必要はなくて、自分と親との関係、自分の心と体の状態、そういういろんなバランスで“今日の最善”を選べばいい。SNSでは、そうした“多様な声”が聞けるのがありがたくて。」
― 「人と比べて苦しくなる」ことが減ってきたと?
「はい。他の人の方法にヒントはもらうけど、“それができない私がダメ”とは思わなくなりました。“私は私のやり方でいい”って思えるようになっただけで、心がずいぶん軽くなった気がします。」
【図解】同居介護の中でSNSがもたらした安心感とは?
図1:同居介護で感じた孤独・不安TOP5

同居介護を経験した中高年層に「介護中、どのような孤独や不安を感じましたか?」と尋ねたところ、最も多かったのは**「誰にも本音を話せない」(68%)**という回答でした。
続いて、
- 「自分だけが頑張っている気がした」(61%)
- 「心がすり減っていくような感覚」(55%)
- 「家族との温度差に疲れる」(47%)
- 「感情の逃げ場がない」(42%)
といった声が上位を占めました。
介護は身体的な負担だけでなく、「話せない」「わかってもらえない」ことによる心の孤立感が非常に大きいことがうかがえます。中でも“同居”という密接な関係の中では、感情を抑え込む傾向が強くなることも明らかになりました。
図2:SNS利用前後での気持ちの変化
「SNSを使い始める前と後で、気持ちの変化はありましたか?」という質問には、以下のような変化が見られました。

SNS利用前の状態(複数回答):
- 「感情を出せず、常に緊張していた」(64%)
- 「ひとりで抱え込む日々だった」(59%)
- 「誰かに頼ることに罪悪感があった」(51%)
SNS利用後の変化(複数回答):
- 「話せる場所があることで気持ちが安定した」(66%)
- 「“自分だけじゃない”と感じて安心した」(62%)
- 「介護と距離を取る時間も大事だと気づいた」(54%)
SNSによって得られたのは、専門知識や正解ではなく、「感情を受け止めてもらえる安心感」でした。特に「共感される経験の共有」は、介護中の孤立をやわらげる力があるといえます。
図3:「話せるSNS」と「一般的SNS」の違い
アンケートでは、利用者が感じた「話せるSNS」と「一般的なSNS」との違いについても聞きました。回答の中で特徴的だったのは、以下のような点です。
比較項目 | 話せるSNS | 一般的SNS |
---|---|---|
投稿の雰囲気 | 日常のつぶやき、弱音もOK | キラキラ投稿が中心 |
コメント | 共感の言葉が多く、否定が少ない | 反応が形式的・スルーも多い |
利用目的 | 話を聞いてもらう・共感 | 情報収集・趣味シェア |
気持ちの変化 | 安心できた・落ち着いた | 気疲れする・比較してしまう |
「話せるSNS」では、人と比べない、否定されない環境が特徴的で、特に介護のような繊細なテーマでも、自然に打ち明けられる雰囲気があることがわかります。
気持ちを押し込めてきた人ほど「話す場」が必要
「つらい」と言えない人ほど追い詰められやすい
同居介護に限らず、人に迷惑をかけたくない、弱いと思われたくないという思いから、「つらい」と口にできない人は少なくありません。特に中高年世代では、“我慢こそ美徳”とされてきた価値観が根強く残っていることもあり、感情を外に出すことが苦手な人が多い傾向があります。
ですが、感情を押し殺し続けると、心のエネルギーが少しずつ削られていきます。「私が頑張ればいい」と無理を続けてしまうと、いつか限界がきて、心身の不調や家庭内の衝突にもつながりかねません。
自分の気持ちを正直に出せる場は、単なる“愚痴の吐き出し口”ではなく、自分を守るための「心の安全装置」でもあるのです。
弱音を受け止めてくれる関係性の価値
同じ状況にいる人、かつ、否定せず話を聞いてくれる人がそばにいるだけで、人は大きく変わることができます。
たとえば「それ、わかるよ」と返してくれる言葉は、意見を押し付けるのではなく、共にその気持ちを“感じてくれる”言葉です。実際に会うことがなくても、SNSの中でこうした言葉に出会うことで、孤立感が少しずつほぐれていきます。
大切なのは、“正しいか間違っているか”ではなく、“その人の感じた気持ちを尊重できるかどうか”。弱音を吐くことは、弱さではなく、正直さであり、心の回復に向かう最初の一歩です。
SNSが“つながりすぎない距離”を作ってくれる
身近な人には逆に話しづらいことも、SNSという「適度な距離感」がある場だからこそ、話せることがあります。面と向かって言いづらい感情も、文字なら書ける──そんな経験をした人も多いのではないでしょうか。
また、SNSは24時間いつでもアクセスできるため、「夜中にふと思い出して苦しくなった時」「誰にも会いたくない朝」など、誰かにすぐ気持ちを向けられることも安心感につながります。
“話せる誰かがいる”というよりも、“話したいときに話せる場がある”という自由。それこそが、介護をしている人の心を支える大きな柱になります。
話せるようになったことで「介護との距離感」が変わった
話すことで“自分を責める癖”が和らいだ
介護が長期化すると、うまくいかない日や感情をぶつけてしまった瞬間に、「こんな自分は最低だ」と自分を責めてしまうことがあります。実際、多くの介護者が「もっと優しく接するべきだった」「怒ってしまって後悔している」と自分を責める声をSNS上でもつぶやいています。
しかし、話せる場所ができると、その“責める気持ち”が少しずつ緩んでいくのです。他の人も同じような経験をしていたと知ったとき、はじめて「私だけじゃなかったんだ」と感じられる。そして、自分の過去の行動も「仕方なかったよね」と、少しだけ優しく見つめ直せるようになるのです。
話すことは、反省ではなく“許すプロセス”を生むことにつながります。
自分のペースを取り戻すことが最優先だった
介護は、相手のペースに日常を合わせることが求められる時間です。その中で、知らず知らずのうちに「自分の生活リズム」や「気持ちの余裕」が失われていきます。
SNSを使って思いを発信することで、自分の感情や疲れに改めて気づく人も多くいます。「もう少し休んでいい」「ちょっと距離を置いてもいい」と、自分のペースを尊重する視点が戻ってくるのです。
これは、介護を放棄することではありません。むしろ、長く関わり続けるためには、自分の心を守るペースの確保が必要不可欠なのです。
気持ちの発信が「ひとりじゃない実感」につながる
たった一言、「疲れました」とSNSに投稿しただけで、誰かが「わかります」「無理しないでくださいね」と返してくれる──。そのやりとりは、実際に顔を合わせたわけではなくても、確かに「つながっている」と感じられる瞬間です。
こうした“見えない関係性”があることで、「私は孤立しているわけじゃない」という実感が、日々の支えになります。これは、決して大げさではなく、介護を続けていく中で大きな意味を持ちます。
声を上げることで、声が返ってくる。そしてまた次の日を過ごす力になる──そんな小さな循環が、介護のしんどさをやわらげてくれるのです。
まとめ|ふさぎ込んでいたあなたへ伝えたいこと
話せる場は、自分を守る手段にもなる
介護のしんどさは、外からはなかなか見えません。だからこそ、つい我慢してしまったり、「話したってどうにもならない」と言葉を飲み込んでしまったりすることもあります。
けれど、「話せる場所がある」というだけで、心の中に“逃げ道”ができます。実際に話さなくても、誰かがいる、聞いてくれると思えるだけで、心の圧力はずいぶん違ってくるものです。
話すことは、甘えではありません。自分を壊さないための、大切な手段です。
誰かの言葉が“背中を押してくれる”こともある
SNSの良いところは、同じ状況にある誰かの言葉が、ふとした瞬間に目に入ることです。「自分と同じように悩んでいる人がいる」と感じられると、それだけで心が軽くなることもあります。
ある人の投稿に「それ、私も思ってた」と共感できたことで、次の日を頑張れる気持ちになった。そんな“さりげない支え”が、SNSの中にはたくさんあります。
直接やり取りをしなくても、画面越しの言葉がそっと背中を押してくれることがあるのです。
無理に頑張らず、まずは「話してみる」から始めよう
「どうせ誰にもわかってもらえない」「うまく説明できないかもしれない」──そう思って言葉にできずにいた方もいるかもしれません。
でも、話すのにうまいも下手もありません。「疲れた」「今日はしんどかった」と、たった一言だけでもいいのです。発信することで、誰かの優しい一言が返ってくる。それだけで、「またやってみよう」と思えることもあるはずです。
今はつらくても、少しずつでも「話せる」ようになっていく。SNSは、そんな変化をそっと支えてくれる場所になり得ます。